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日本とスペインの交流400周年を記念する、特別展「スペイン 奇跡の恐竜たち」が大阪市立自然史博物館(大阪市東住吉区)で開かれている。小説「ドン・キホーテ」の舞台で世界有数の恐竜化石の発掘地である、スペイン中部の「カスティーリャ=ラ・マンチャ州」内で見つかった肉食・植物食恐竜、鳥類の化石が並ぶ。これらの化石を発掘した同展の監修者であるマドリード自治大のホセ・ルイス・サンス教授と、スペイン国立通信教育大のフランシスコ・オルテガ教授に同展の魅力を語ってもらった。(増田弘治)
「――ラ・マンチャ州」には、ラス・オヤスとロ・ウエコという2大発掘地がある。同展で目を引くのが、ラス・オヤスで見つかった鳥類の化石だ。
鳥類が恐竜から進化した過程を研究しているサンス教授は、「祖先が同じ動物の骨には、長い時間をかけた進化の後でも祖先の骨にあった特徴が残る。骨格の分析に加え、羽毛の化石を詳しく調べたことで、『鳥は肉食恐竜から進化した』ことが定説になった」という。
鳥は大きくわけて4段階で進化を遂げてきたとされる。〈1〉体温が逃げないように羽毛が生えた〈2〉前脚の羽毛が進化して羽ができた〈3〉肩の関節が横向きになり、羽ばたけるようになった〈4〉「小翼羽」と呼ばれる羽が翼の中央部分に発達、飛行を細かく制御できるようになった――という。
〈1〉、〈2〉の段階の化石は主に中国で見つかり、〈3〉にあたるのがドイツで発見された「始祖鳥」だ。〈4〉の化石については、ラス・オヤスで発掘された。同展では、「進化のつながりを証明するパズルのピース」(サンス教授)となった小翼羽を持った鳥の先祖たちの化石を見ることができる。
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オルテガ教授は、古生物研究の専門家。恐竜が栄えた白亜紀(1億4500万~6600万年前)のスペインは、アフリカ北西沖の大西洋に浮かぶカナリア諸島付近にあったとし、「化石でみつかる動植物の種類、岩石が含む物質の分析によると、当時は亜熱帯の気候だった」と指摘する。
鳥類のほか、ラス・オヤスで見つかったのが、肉食恐竜「コンカベナトール」(体長約6メートル)で、今回は、実物の全身骨格が展示されている。腐りやすく、化石になりにくい皮膚やうろこ、足の裏の肉球の様子が、保存状態が良いため、はっきりわかる。
オルテガ教授が注目するのは、肋骨(ろっこつ)の間にある細長い骨の化石だ。これまでの分析から、この骨はコンカベナトールが丸のみにした肉食恐竜の尾の可能性があるという。同展の目玉の一つだ。
同教授は「1990年代まで、スペインは古生物研究の『空白地帯』だった。今では、コンカベナトールの発見などで世界的に注目されている」と話す。
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もう一つの発掘地で、白亜紀後期の地層が広がるロ・ウエコでは、長い首と尾で体長20メートル近い大きさの植物食恐竜「ティタノサウルス類」の化石が大量に見つかり、複数の個体が確認されている。オルテガ教授は「洪水や地滑りが起き、一緒に土砂に埋まった可能性がある」と話す。今回は、大腿(だいたい)骨や背骨などが展示されている。
ティタノサウルス類の背中には、楕円(だえん)形で板状の骨(皮骨)があった。
皮骨の役割を研究しているのが、大阪市立自然史博物館の林昭次学芸員。ティタノサウルス類の皮骨をCT(コンピューター断層撮影法)で観察すると、骨が溶かされた結果できた空洞が確認されたという。林学芸員は「現世のワニにも皮骨があり、ミネラル分が不足すると中身を溶かして血液中に供給している。ティタノサウルス類も同じ仕組みで皮骨を使っていたと考えられる」と話す。
5月31日まで。入場料、休館日などについては、大阪市立自然史博物館(06・6697・6221)や公式HP(http://spain-dino.jp/)で確認できる。
北陸新幹線開業で、東京―富山間が2時間台で結ばれたことで、首都圏在住者が富山との「2地域居住」を始める動きが出ている。災害が比較的少なく、豊かな自然と住環境に恵まれた富山と東京の間を行き来しながら暮らす、新しいライフスタイルだ。
「移動時間が短縮され、途中の乗り換えもないので格段に便利になりました」
開業後の先月22日、新幹線を初めて使って富山市を訪れた東京都大田区の田本吉男さん(67)、めぐみさん(67)夫妻は、満足そうに話した。
夫妻は昨年秋、JR富山駅近くの高層マンションの一室を購入した。立山連峰を背に北陸新幹線を見下ろせる部屋だ。
新たな住居を本格的に考えたのは、2011年の東日本大震災がきっかけだった。大きな揺れに見舞われた東京の自宅は、壊れることはなかったが、被災者の厳しい避難所生活の様子が報道で伝えられ、自分が被災した場合のことを真剣に考え始めた。
東京では将来、首都直下地震の発生も懸念されている。「避難生活で気持ちがなえて亡くなる人も多いと聞く。震災から早く自立するためには、ほかに住居を持つしかないと考えた」と吉男さんは話す。
富山市はめぐみさんの母方の実家があり、親戚も多い。新幹線開業で、東京―富山間は最速2時間8分になったことに加え、同市が中心部に次世代型路面電車(LRT)を導入し、車のない高齢者も安心して暮らせる「コンパクトシティー」を掲げていることにも注目したという。
同市は新幹線開業を前にした昨年10月、将来の定住人口を増やすことを目指し、市中心部で住宅を取得した県外在住者に最大35万円を補助する制度を創設。田本さん夫妻は背中を押されるようにマンション購入を決断し、適用第1号となった。
同市によると、新幹線開業直前の3月12日には横浜市、開業後の同16日にはさいたま市の在住者にもそれぞれ補助が決まり、今月6日現在で補助適用者は田本さん夫妻を含めて3組となっている。
田本さん夫妻は今後も、東京での生活を続けながら、月1回程度、富山を訪れて過ごすつもりだ。陶芸や絵など趣味の仲間を富山に呼ぶ計画も立てており、「自然が豊かで、空気のきれいな富山での生活も楽しみたい」と期待を膨らませている。
山陰初となる4年制看護大の鳥取看護大(倉吉市福庭)が開学し、9日、入学式が行われた。県内外から第1期生80人が集い、新たな一歩を踏み出した。
同大学は看護学部看護学科のみの単科大。県内の慢性的な看護師不足解消のために、県看護連盟や県中部の自治体が学校法人藤田学院に4年制看護大設置を要望。県、中部1市4町から約16億円の支援を受け、設置された。新入生の7割は県内出身者。
入学式では、近田敬子学長が、「社会の激変の波は容赦なくやってくる。逃げずに向き合い、社会に貢献できる人材になってほしい」と新入生を激励。新入生を代表して県立米子西高卒の林原美晴さん(18)が、「人間として成長し、夢の実現に向けて努力していきます」と決意を述べた。
学生たちは看護学などの基礎を学び、実習を重ねて、看護師や保健師、養護教諭を目指す。看護師だった祖母の影響で保健師を目指す松江市出身の小森日菜子さん(18)は、「相手に寄り添って信頼される人間に成長し、社会に貢献できるようになりたい」と目を輝かせていた。
歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが、近畿最古の芝居小屋「出石永楽館」(豊岡市出石町)での公演について語った本「愛之助が案内 永楽館ものがたり」が集英社から出版された。芝居にかける情熱や舞台裏のエピソード、公演を支える地域の人々への感謝などがつづられている。(松田聡)
四六変型判、198ページ。1400円(税抜き)。歌舞伎に詳しいフリーライター清水まりさんが愛之助さんの言葉をまとめ、周辺取材をして加筆した。「出石の人々の永楽館愛」「芝居好きの夢」「もうひとつの故郷」など11章で構成。
1901年に完成した永楽館は、戦前は大衆演芸でにぎわったが、64年に閉館。住民らの活動で再生の機運が高まり、市が2008年、創建時の姿に復元した。
愛之助さんは08年のこけら落としから毎年、座頭を務める。ドラマ「半沢直樹」に出て人気が高まる前から温かく迎えてくれた地元への思い入れはひとしおで、公演のたび「お帰りなさい」と声を掛けられるのが「何よりうれしい」。恩返しがしたいと昨年、コウノトリが登場する地元ゆかりの新作「神(こう)の鳥」を上演した。
永楽館について愛之助さんは、観客の息遣いが感じられるほど客席が近く、ごまかしが利かない緊張感があるという。「江戸時代の芝居小屋は、大きさも風情も永楽館のようなところだった(中略)お芝居が持っていた本来の味わいが生きる」と魅力を感じている。
猛暑で有名な土地柄ゆえの裏話も。08、09年の8月公演では空調があるのに客の熱気も加わって室温が30度以上と「サウナのよう」になり、鬘(かつら)の毛を固めた油が溶けてしまったという。
舞台上の水槽でコイと格闘する演目「鯉(こい)つかみ」を練習するため、宿泊先の城崎温泉の旅館で大浴場に潜ったことも披露。毎回、公演の観客誘導などをボランティアで手伝ってくれる住民への感謝も記している。
県産肉牛の品質向上を目的に行っている年1回の「県肉牛枝肉共励会(品評会)」が9日、大和郡山市の県食肉センターであり、最優秀賞に、宇陀市大宇陀の肉牛農家、井上源一さん(65)が出品した黒毛和種が選ばれた。
品評会では、県ブランドの大和牛38頭が出品され、肉付き、色、脂肪の質などを競った。その後のせりで、最優秀賞を獲得した524・6キロの枝肉は1キロ当たり2804円の最高値で取引された。
50年近くも肉牛を生産する井上さんは「10か月の子牛を24か月間育てた。小ぶりの牛を大きくするため、干し草や稲わらなど、飼料をバランス良く与えることに苦労した」と話した。