政治そのほか速
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国の無形文化財に指定されている「丹波布」の継承に取り組む丹波市青垣町西芦田、市立丹波布伝承館で、長期伝習生5人の創作展が開かれている。21日まで。
丹波布は、草木で染めた手紡ぎの綿糸を用い、縦糸に木綿糸、横糸に絹を交ぜ織りにし、茶色、紺色、緑などのしま模様を表現した織物。紡ぎ、染色、織りの全工程が手作業で、化学染料は使わない。合併前の旧青垣町が、技術保存のため伝承館を建設し、2年間で全工程を習得する長期伝習生の養成を始めた。
会場には昨年、入門した9期生5人が、通常の半分の長さの反物や、子ども用スカート、ワンピース、スカーフなど54点を出品。素朴な味わいを表現している。問い合わせは同館(0795・80・5100)。
東日本大震災から丸4年を迎えた11日、坂井市三国町崎の休暇村越前三国で、地震と津波で大きな被害を受けた岩手県宮古市のイクラを使ったしょうゆ漬けが宿泊客に提供された。
全国37休暇村が行っている産業支援活動の一環。休暇村職員による募金とグッズ販売の売り上げの一部の計83万円で生産者から食材を購入し、各休暇村でメニューを考えた。
越前三国ではこの日、宿泊した約50人の夕食のテーブルに「本日で丸4年がたちました」などと記した案内文を添え、スタッフが「宮古市のイクラです」と紹介しながら配膳した。家族4人で泊まった京都市山科区の無職森学さん(77)は「粒が大きくて口の中でぷちぷちとはじける。食べることも支援につながるんですね」と話していた。
12日の朝食には、宮城県気仙沼市産の食材で作ったワカメご飯とめかぶとろろがふるまわれる。
東日本大震災から4年を迎えた11日、県内各地でも追悼の催しが行われ、発生時刻に犠牲者を悼み、黙とうがささげられた。阪神大震災から20年が過ぎた神戸では、二つの震災の被災地に生きる語り部たちが集い、体験や教訓を次世代に語り継ぐことの大切さを確認し合った。「1・17」から「3・11」へ――。参加者たちは「記憶をつないでいく」と誓い合った。(上野綾香、浅野友美、畑中俊)
◇気づかされた日常の備え
神戸市中央区の「人と防災未来センター」では、二つの震災の体験や記憶の継承について考える「語り部のつどい」が開催された。
「語り部」として登壇した元田久美子さん(57)(岩手県宮古市)は、東日本大震災で義母を亡くし、現在は宮古市田老地区で「学ぶ防災ガイド」を務めている。
「震災前は、義父から津波の恐ろしさを何度も聞かされたけど、『もう聞きたくない』と思っていた。震災が起きて、教訓を語り継ぐ人の存在が、どれだけ大切か気づかされました」と語った。
また、同地区で被災したホテルを「震災遺構」として保存する取り組みについて紹介。「遺構は地元にとって、見るたびに当時のつらさを思い出す建物。それでも、『ものを語らない語り部』となってほしい」と期待を込めた。
一方、NPOのメンバーとして、防災教育を行う団体のコンクール「ぼうさい甲子園」に携わる河田のどかさん(27)(神戸市)は、阪神大震災時には7歳だった。「当時をあまり記憶していない自分が震災を語っていいのか」と悩んだ時期もある。
しかし、「ぼうさい甲子園」のスタッフとして、震災を経験していない子どもたちが懸命に防災に取り組む姿を見るうちに「体験したかどうかは関係ない」と思い始めた。
「『語り継ぐ』とは、自分の体験を語ることだけではないんだ」と気づかされ、体験した人の言葉に耳を傾け、次の世代に受け渡す役目を果たそう、と決意した。
「私たちの世代は、震災の真実をあまり知らないからこそ、語ってくれる人の存在が重要。これから、経験を語る人と、受け取る人の出会いの場をつくっていきたい」
◇追悼ネット中継…東遊園地と宮城・岩手
神戸市中央区の東遊園地では、阪神大震災の復興のシンボル「希望の灯(あか)り」を分灯した岩手県陸前高田市の施設と、追悼行事が行われている宮城県名取市の仮設住宅の3か所をインターネット中継で結んで追悼イベントが行われた。
阪神大震災の追悼行事「1・17のつどい」の実行委員会が主催。会場では約300本の竹灯籠を「3・11」の形に並べて火をともし、地震発生時刻の午後2時46分に合わせて市民ら約200人が黙とうした。
あいさつした実行委副委員長の藤本真一さん(30)は「被災者の心の傷はまだ癒えないと思う。つながりを今一度強くし、共に歩みましょう」と呼びかけた。
◇長田の小学校も仙台と
神戸市立真野小学校(長田区)では、児童約120人が参加して、津波被害を受けた仙台市立東六郷小とインターネットで結び、合同の追悼集会が営まれた。
両校は昨年から交流を始め、今年1月17日には、東六郷小の児童4人が真野小を訪れ、阪神大震災の追悼イベントにも参加した。
真野小の大型画面には、東六郷小の追悼集会の様子が映し出され、両校の児童は犠牲者に黙とうをささげた後、震災復興ソング「希望の道」を合唱。集会後は、ネットを通じてクイズを出し合ったり、将来の夢を語り合うなどして楽しんだ。真野小6年・高野将己君(12)は「津波で校舎が浸水した東六郷の児童は、想像できないくらい苦労も多かったと思う。これからも交流を続け、震災の教訓を忘れないようにしたい」と話していた。
道内のビジネスリーダーが中学校で授業をする「読売ゆめ授業」(読売ビジネス・フォーラム企画協力)が10日、札幌市南区の市立簾舞(みすまい)中学校で行われた。サッポロビール北海道本社の高島英也代表(55)が「日々の習慣が人生を楽しくする~ビールづくりから学んだこと~」をテーマに全校生徒157人を前に講演した。
講演で高島代表は、高校に入学した直後は数学が苦手だったが、数学の担任教諭の「(本塁打を量産した巨人の)王選手だって練習した。お前も練習せよ」という一言からスイッチが入り、得意教科に変わったことを紹介。「こうした言葉一つ一つが自分の支えになっている」と語った。
さらに、知識や経験、仲間を増やし、何事にも肯定的に考えて行動する習慣を身につける重要性に言及。「この習慣を身につければどんな困難にも立ち向かえるし、人生が楽しくなる」と語った。高島代表は講演の結びで生徒たちに同社のコマーシャルの言葉「丸くなるな星になれ」を贈り、安易に妥協せずに今後の人生を送っていくよう訴えた。
◇20代当主、目録作成 宇陀で公開
宇陀市大宇陀にある重要文化財・片岡家住宅に伝わる古文書約1万1000点を、同家20代目当主の片岡彦左衛門さん(88)が10年前から分類し、目録を作成した。その成果を基に、古文書の一部を公開する展覧会「片岡家文書の世界」が13日、同市文化会館で始まる。彦左衛門さんは「研究者や市民が地域の歴史を深く知るきっかけになれば」と願っている。(岡田英也)
片岡家は江戸時代初期から大宇陀地域の九つの集落を治めた大庄屋で、年貢の課税や代官所の通達などを知らせる「役所」としての役割を明治まで果たした。同住宅の蔵には室町時代から近現代まで500年間の文書が残っている。
特定郵便局長を引退した彦左衛門さんは10年前、「先祖がどのような暮らしや仕事をしてきたのか知りたい」と思い立ち、毎日蔵に入って5、6時間をかけて古文書の年代や内容のリスト化を進めた。虫食いなど劣化した文書もあり、修復しながら、参考書を手に独学で読み込んだ。
2012年からは市教委などが彦左衛門さんの目録に基づき、内容の確認や写真撮影など本格的な調査を進めた。戸籍や年貢関連など行政文書が大半を占めるが、豊臣秀吉が行った太閤検地の帳面や、江戸後期に大坂で起こった大塩平八郎の乱に関する通達に返信した「請書(うけがき)」もあった。
彦左衛門さんが最も印象に残っているのは、生活が苦しかった農民から女児を片岡家が引き取ったことを示す江戸中期の文書。年頃になった女児を「片岡家の娘」として嫁入りさせた内容が記されていた。
彦左衛門さんは「使用人ではなく、家族の一員として迎えたのだろう。困った人のために損得を言わなかった祖先の姿が様々な文書から思い浮かんで誇りに感じた」と話した。
柳沢一宏・市教委文化財課主幹は「500年という長い期間途切れなく文書がそろっているのは珍しく、大和における当時の支配体制が分かる」と評価する。
展覧会は江戸時代を中心に約80点の文書を公開する。4月13日までで午前9時~午後5時(火曜休館)。入場無料。問い合わせは市教委文化財課(0745・82・3976)へ。