政治そのほか速
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東日本大震災の被災地や被災者を支援する団体による合同追悼式が11日、名古屋市中区の久屋大通公園もちの木広場で行われた。地震が発生した午後2時46分、参加者全員が黙とうし、実行委員長の石井弘子・東海岩手県人会会長(57)が「これからも被災者と被災地に心を寄せていきます」と宣言を読み上げた。
会場では1万本以上のキャンドルに明かりがともされ、「追悼 3・11 東日本」の文字が浮かび上がった。参加者は献花台に白のカーネーションを供えるなどして犠牲者を悼んだ。
福島県相馬市から子ども4人と避難している愛知県豊橋市、介護士堀内光子さん(56)は「津波で亡くなった近所の友人らの姿を今でも毎日思い出す。犠牲者の皆さんを忘れることはありませんとの思いを込めて手を合わせた」と話した。
東日本大震災から4年となった11日、県内でも各地で人々が黙とうをささげて犠牲者を追悼した。民間ボランティアによる復興イベントや、県警による災害救助訓練なども行われた。
■避難者50人減
震災が発生した午後2時46分、県庁では職員が1分間の黙とうを行った。石井知事は「引き続き、被災者の心に寄り添って、出来る限りの支援を行っていく」とのコメントを出した。
県によると、県内で避難生活を送る人は2月27日現在、福島県などから234人。前年同期よりも50人減少した。県はこれまで医師や土木技術者など職員222人を岩手、宮城、福島3県に派遣し、現在も農業などを専門とする12人を派遣している。県警は952人を派遣し、いまも福島県警に2人が出向している。
■無人ヘリで救助
県警では、電動無人ヘリ「マルチコプター」を使った災害救助訓練が実施された。ヘリは「ドローン」とも呼ばれ、世界の災害現場などで普及が進む。
訓練には、県外の災害現場に出動する広域緊急援助隊員ら約40人が参加した。同隊がドローンを使った訓練を実施するのは初めて。
呉羽山断層帯を震源とする地震で家屋が倒壊したとの想定の下、リモコン操縦されたヘリからの映像を頼りに、高さ約7メートルのがれきの中から被災者役の人形を探し出した。
初訓練を終え、同隊の八田俊寛小隊長(32)は、「新しい装備を使った訓練の有効性を実感した」と話した。
■チャリティーも
犠牲者を悼む気持ちは民間人も同じだ。富山市総曲輪のグランドプラザでは、震災復興を支援するボランティア団体「東北エイド」(富山市)がチャリティーイベントを開き、被災地の特産品販売などを行った。
参加者からは被災地への応援メッセージが寄せられた。富山市犬島、主婦金井琴美さん(42)は「なかなか被災地には行けないが、復興を応援する気持ちは持ち続けたい」と話した。
◇県内避難 今も42世帯94人
東日本大震災から4年を迎えた11日、県内各地でも犠牲者を悼み、被災地の復興を願う式典などが営まれた。県の集計(2月末現在)ではこの震災に絡み、42世帯94人の避難者が今も県内で暮らしているという。行政関係者や地域住民らは、大津波を引き起こすと想定される南海トラフ巨大地震などの災害に備える訓練に臨み、減災への決意を新たにした。
県によると、避難者は2012年に55世帯131人を数えてピークを迎えたが、その後は古里に戻る人が増えだしたという。
現在の避難者の内訳は、福島県からが15世帯31人と最も多い。宮城、岩手両県と合わせた被災3県では計28世帯60人に上る。東京、茨城、千葉など関東からも13世帯32人が避難している。滞在先は、和歌山市(20世帯46人)、田辺市(4世帯11人)、海南市(4世帯7人)など12市町に及ぶ。
この日、和歌山市内の会議室では避難者約10人が集まる交流会が開かれ、生活上の悩みなどを話し合った。
会はおおむね月1回、同市内で開かれ、情報交換などを行っている。今回は、県内の避難者約40世帯に最近、実施したアンケートの中間報告(12世帯分)があった。依然、半数近くの人が「まだ不安が多く、生活のめどがたたない」と答えていた。
アンケート結果を踏まえ、避難者を支援する関係者は「以前に比べると、子どもの教育に関する悩みは減っている回答だった。子どもたちが和歌山になじんでいると受け取ってもよいかもしれない。今後は住宅や就労支援が必要になってくるのでは」と分析した。
子どもを連れて関東から避難してきたが、今月中に関東に戻るという女性は「和歌山では屋外でのびのびと遊ばせられた。ただ関東に戻るとなると、やはり放射能のことが気になる」と話した。
◇列車から高台へ訓練真剣
南海トラフ巨大地震で最大17メートルの津波が想定されている串本町のJR紀勢線では、列車走行中の被災を想定した避難訓練が行われた。
列車が緊急停車したと見立て、JR西日本社員約100人が乗客役で参加。車掌らは、避難ばしごを使うなどして乗客が安全に車外に出るのを誘導し、近くの高台まで一緒に避難した。
高台に移動する訓練には町立橋杭小学校の児童と地元住民らも参加し、高台に通じる避難路を真剣な表情で駆け上がった。
和歌山市毛見の和歌山マリーナシティの駐車場では和歌山市消防局や和歌山海保などの約150人が参加する訓練もあった。
倒壊家屋に人が閉じこめられていると想定し、チェーンソーなどを使って救助する作業などを確認した。和歌山市消防局の林正義消防局長は「今後も災害に備え、関係機関との連携を強化したい」と話した。
◇鎮魂の鐘響く 田辺
田辺市今福町の勝徳寺では震災の発生時刻の午後2時46分から、市民ら約30人が鐘を突き、犠牲者の鎮魂を祈った。
紀南ユネスコ協会の呼びかけで行われ、市民らは鐘楼にキャンドルを並べ、一人ひとり鐘を突いて合掌した。同協会の浜野公二会長(64)は「4年たっても被災地の苦しみは癒やされていない。少しでも安らぎを取り戻し、前に進んでほしい」と話していた。
また、高野山真言宗・総本山金剛峯寺(高野町)は、高野山の奥之院で、犠牲者を追悼する法会を営んだ。粉雪が舞うなか、同宗の中西啓寶(けいほう)管長が導師を務め、約30人の僧侶が厳かに読経した。
同宗の添田隆昭宗務総長は「犠牲となった方々のご冥福や、被災地の一刻も早い復興を祈りました」と話した。
東日本大震災から4年となった11日、道内各地でも犠牲者を追悼する催しがあった。
札幌市の札幌駅前通地下歩行空間では、犠牲者を追悼する演奏会が行われ、午後2時46分、集まった約50人が黙とうした。涙ぐむ人もいて、江別市の女性(69)は「震災をいつまでも忘れてはいけない」と語った。
石狩市の市民図書館では夕方、約200個のキャンドルがともされ、約60人の市民らが冥福を祈った。同市の小学6年生(12)は「被災地が早く元の姿に戻ってほしい」と願った。
道内で唯一の犠牲者が出た函館市では、市の施設に献花台が設けられ、市民らが次々と花を手向けた。
網走市では、復興を支援するチャリティーコンサートが開かれ、市内の中学や高校の吹奏楽部などが歌謡曲などを演奏。復興支援ソング「花は咲く」を来場者と一緒に合唱し、締めくくった。
あなたの気持ちを手紙につづってみませんか――。東日本大震災の被災者や手紙の愛好者が書いた手紙の交換を仲介するボランティア活動を続ける夫婦がいる。姫路市の介護福祉士、佐藤佳美さん(31)と夫の章さん(34)。「てがみ屋」と称し、ペンネームで届いた手紙を取り持ち、知らない相手にそれぞれ届ける。文通とは違い、一度きり。「顔の見えない相手だからこそ打ち明けられることもある。手書きの文字のぬくもりを1人でも多くの人に届けたい」と話す。(藤本綾子)
活動のきっかけは昨年3月、章さんが福島県南相馬市にボランティアに行ったこと。仮設住宅で出会った小学2年の男児が「来年どこに住むのか、学校はどうなるのか、修学旅行はどこに行くのか、全くわからない」と嘆くのを聞いたが、かける言葉がなかった。佐藤さん夫婦には5歳と8歳の息子がおり、姫路に戻ってから「彼の将来の夢も聞いてみたかったな」と悔やんだ。
何かできることはないかと話し合い、佳美さんが子どもの頃から好きな手紙での支援を思いついた。中学時代から北海道の同年代の女性と文通を続けており、「手紙で自分の気持ちが整理され、悩みを聴いてもらうだけで楽になることが何度もあった」という。
昨年6月からインターネット投稿サイト・フェイスブックなどで便箋を配り始め、東北の知人やボランティアにも便箋を託す。昨夏からは、活動に賛同してくれた同じ「てがみ屋」という店名の長崎県の文具店にもチラシと便箋を置いてもらっている。
これまでに夫婦のもとに届いた手紙は約20通。被災地からは、まだ2通だけだが、福島県から神奈川県に避難している70歳代の女性の手紙には原発事故でふるさとを奪われた怒りと悲しみがつづられていた。
「手紙を読むあなたはもっとお辛い経験をされて、厳しい毎日かもしれませんね」。兵庫県の30歳代の女性は便箋に家族を亡くした悲しい体験と周囲の支えで少しずつ前を向けるようになった今の心境をつづり、“見えない相手”の苦しみにも思いを寄せた。
ほかの手紙にも、「暑いですが、夏バテ気味ではないですか」「あなたにもいいことがありますように」など相手を思う心が文面ににじむ。
発生から4年が過ぎた今も、多くの被災者が先の見えない生活を続ける。それでも、仮設住宅のポストに届く手紙が被災者にとっての「小さな幸せ」になればと、佳美さんは願う。「自分の名前が書かれた手紙がポストに入っていたときの喜びを、たくさんの人に感じてほしい」。
手紙の送付先は「〒671・2299 姫路市飾西41の3 飾西郵便局私書箱2号 てがみ屋」へ。