政治そのほか速
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東日本大震災の被災地を支援するチャリティー展「連(れん)」が姫路市三左衛門堀西の町のギャラリー「ルネッサンス・スクエア」で開かれている。展示作品を販売し、売り上げは被災地で文化芸術活動を支援している団体に寄付する。29日まで。
姫路地方文化団体連合協議会(姫路文連)が主催。播磨地域の芸術家約70人が絵画や書、陶芸作品などを出品している。前半は絵画などを中心に15日まで開き、17日からの後半は木工や金工、陶芸などが並ぶ。会場には優しいタッチで描いた風景画や素朴な風合いの版画などが展示され、来場者が見入っていた。
同市西二階町の主婦山野陽子さん(57)は「遠く離れた姫路にいながら、被災地に思いを寄せる良い機会になりました」と話した。
午前10時~午後6時(15、29日は午後4時まで)、水曜休館。問い合わせは姫路文連(079・288・6642)へ。
◇瓦も確認 建築急ぎ再利用
関ヶ原の戦い(1600年)で勝利した徳川家康の重臣・井伊家が築いた彦根城(彦根市)の石垣に、敗れた石田三成の居城・佐和山城(同)の石材と瓦が使われていたことが確認され、市教委が12日発表した。徳川家の西国支配の拠点として築城を急いだとみられる。国宝の天守を含め、他城のものを再利用したことは文献に記されていたが、実際に確認されたのは初めて。(布施勇如)
2012年度からの保存修理に伴う発掘調査で判明した。城同士の部材移動が裏付けられるのは、全国的にも珍しいという。
佐和山城の石材使用が確認されたのは、「鐘の丸」(1604年完成)西面の石垣。虎口(出入り口)で解体調査したところ、内部に遺物がほとんどなく、築造当時から改修されていないことがわかった。
彦根城の石垣には、主に火山岩が用いられているが、鐘の丸西面では高さ約7メートル、長さ約30メートルにわたり、堆積岩を併用。両方で築かれた石垣は、県内では佐和山城跡しかなく、石材を移したと断定した。「五奉行」として豊臣家を支え、関ヶ原で西軍を主導した三成の居城の部材を城正面から見える位置に配することで、権力の移行を示す狙いもあったとみられる。
一方、瓦の破片は本丸南側の「太鼓丸」(10~15年頃完成)で石垣を取り除いた裏側から数百点確認。排水をよくするために詰めたもので、唐草文様が佐和山城跡で見つかった瓦の文様2種類と一致した。豊臣秀吉が築いた伏見城(京都市)と同じ文様もあり、秀吉と三成の強固な主従関係を象徴し、製造者が同じ可能性もあるという。
現地説明会は21日午後1時半から。申し込みは市教委(0749・26・5833)へ。
中井均・県立大教授(日本城郭史)の話「当時は豊臣政権から徳川政権への移行期で、双方の緊張関係が頂点に達し、大坂の陣(1614~15年)がいつ起きてもおかしくない状況だった。今回の発見は、瓦の破片を使うほど彦根城築城が急がれていたことを物語る証拠で、極めて重要だ」
<彦根城と佐和山城>
佐和山城は古来より交通の要衝の地を治める城として重要視され、1590年代に三成が入城して改修。「三成に過ぎたるもの」と賞されたが、関ヶ原の戦い後に落城し、1601年に「徳川四天王」に数えられる井伊直政が入った。彦根城の築城に伴い、徹底的に壊されたとされる。彦根城は諸大名が動員された「天下普請」により、04年から西約2キロで築城に着手、22年にほぼ完成した。
さよなら、トワイライトエクスプレス――。走るホテルと呼ばれ、人気を集めたJRの寝台特急「トワイライトエクスプレス」(大阪―札幌)札幌行きのラストランを見届けようと、金沢駅には12日午後、鉄道ファンら約400人が詰めかけた。ホームは拍手や歓声に包まれ、名列車の26年の活躍をねぎらった。
10、11日は、天候不良で運休。この日も日本海側は荒れ模様だったが、天候が回復して運行が決まった。
大阪駅を12日午前に出発した列車は、午後3時37分頃、金沢駅の7番線ホームに到着。ファンらは最後の雄姿を撮影しようと、カメラを構えていた。3分後に金沢駅を出発すると、「これまでありがとう、さよなら」などの声を掛けて、別れを惜しみながら見送った。
友人と見送りにきた金沢市若宮、主婦山本済子さん(77)は、「昨年4月に札幌から金沢まで乗った。『夕暮れ』の列車名の通り、トンネルを抜けた後にフワッと広がったきれいなオレンジ色の景色が忘れられない。楽しい北海道旅行の思い出までよみがえった」としみじみと語った。
金沢市泉本町の園児、亀原奏(かなで)ちゃん(4)は、トワイライトエクスプレスがデザインされた靴下を手にはめて手を振った。休みの日は毎回のように見に来る鉄道好きの男の子で、「列車の中で寝ることができるなんてすごい。なくなるのは寂しいけれど、別の寝台列車に乗りたい」と話した。
家族4人で訪れた富山県小矢部市の主婦山本佳代さん(36)は「週1度、子どもと一緒に列車へ手を振るのが日課になっていた。運転士さんが汽笛を鳴らしてくれるとうれしかった。もう聞けないと思うと寂しい」と振り返った。
トワイライトエクスプレスは、1989年に運行開始。片道約1500キロの運行距離は日本一長く、車窓からの眺めを楽しめるサロンカーや、フランス料理などを楽しめる食堂車が人気を集めたが、機関車や客車の老朽化などを理由に廃止が決まった。2010年の「北陸」(金沢―上野)、12年の「日本海」(大阪―青森)に続いて、金沢駅に停車する寝台特急は、姿を消すことになる。トワイライトエクスプレスの名称は、17年にJR西日本が瀬戸内や山陰で導入する新型の寝台列車に、「トワイライトエクスプレス 瑞風(みずかぜ)」として受け継がれる。
大阪行きの最終列車は、13日午前8時49分頃に金沢駅に到着し、同51分頃に発車する予定。
◇津波から飲み水守る
和歌山市水道局技術主査の大亦理広(おおまたまさひろ)さん(43)が、津波や局地豪雨の際、水道管に汚水が入らない構造になった空気弁の部品を考案し、特許を取得した。きっかけは東日本大震災で被災した福島県南相馬市の職員から「津波で飲み水が利用できなくなった」という話を聞いたことだった。大亦さんは「空気弁は全国各地で使われている。災害への備えの一つとして各自治体で採用を検討してもらえれば」と話す。(梨木美花)
空気弁は、地中に埋設された水道管の上部に取り付けられ管内の空気の出し入れを調整する。水道管は地形の起伏に応じ湾曲した形をした箇所があり、中に空気がたまって水の流れを妨げることがある。空気弁はそれを逃す「空気穴」の役割を担う。
また、何らかのアクシデントで水道管の1か所に穴があいた場合、管内で急激な圧力変化が起こり、別の箇所で多発的に破裂が生じる恐れがある。こうした危険に対し、空気弁があれば、最初の破裂時に外部の空気を即座に取り込み、二次的な破裂を防ぐのにも役立つ。
通常、空気弁は路面に小さい穴を掘り、配置するための区画が用意されている。一定量の雨なら、問題なく区画外に雨水を排出するが、東日本大震災の大津波では区画が汚水で一気に満たされ、空気弁を通った汚水が水道管内に入り、飲み水にも影響するという問題が生じた。
大亦さんは、この話を聞き、既存の空気弁の改良に着手。アイデアを練り、区画が汚水や雨水で満たされそうになった時、水に押し上げられたボールが栓の役割を果たす構造の部品を思いつき、設計書にまとめた。
以前から交流のあった空気弁メーカーの千代田工業(滋賀県愛荘町)や明和製作所(和歌山市)にも相談。軽くて頑丈なステンレス製のボールを取り付けた新しい空気弁を完成させた。特許は昨年11月に取得した。
これまでに県内では広川町、県外では大阪府富田林市、泉大津市などが大亦さんらが手がけた空気弁を購入している。和歌山市は設備の更新時期を迎えておらず、今はまだ採用していない。値段は管の大きさによって異なるが、最も一般的な25ミリのものだと一つ約9万円。広く普及させるため、従来品とほとんど変わらない価格設定にした。特許実施料はまず和歌山市に入り、一部が大亦さんに渡るという。
大亦さんは「災害時に水道水が使えなくなれば、被災者の生活は大変不便になる。今以上に機能的な姿が実現できないか、これからも研究を重ねたい」と張り切っている。
◇守山で41回目
東日本大震災の発生から11日で4年を迎えた。県内でも犠牲者らの鎮魂を祈って法要やコンサートがあったほか、大津市は広域災害を想定した訓練を行い、災害派遣の初動態勢を整える手順などを確認した。(藤井浩、岡本久美子、池内亜希)
守山市内のホテルでは午後2時から、市内在住のチェロ奏者と妻らが企画した「東日本大震災メモリアルコンサート」があり、音楽愛好家ら約110人がバイオリンとピアノによるクラシック音楽に耳を傾けた。被災地支援のため震災8か月後の2011年11月から毎月11日に欠かさず開かれ、この日で41回を重ねた。
福島市出身で、大阪フィルハーモニー交響楽団に在籍経験があり、守山市浮気町に移り住んで35年のチェロ奏者、菱倉新緑さん(72)と妻、佳代さん(70)。震災後、被災地のために居ても立ってもいられず、音楽家仲間とコンサートを思い立った。近くのホテル「ライズヴィル都賀山」が会場を提供し、市民グループ「これから行動隊」文化部のメンバーもボランティアで協力を続けている。
コンサートは毎回、菱倉さんらが約1時間、披露。くつろいだ雰囲気と質の高い生演奏の評判が高齢者や主婦らに口コミで広がり、毎回70~100人が集まる。出演希望者も増え、今夏までの予定がすでに決まっているという。
この日は過去最多の聴衆が集まり、京都市交響楽団・相本朋子さんがバイオリン、華頂女子高講師・佐竹裕介さんがピアノ、菱倉さんがチェロを演奏し、エルガーの「愛のあいさつ」、バッハの「アベマリア」(グノー編曲)など8曲を披露。最後に「花は咲く」を会場の全員で歌った。
会場で寄せられた義援金は、別の市民グループ「ドリーム18会」園芸の会(11人)が栽培した有機無農薬の野菜を福島市内の保育園(園児約100人)に送る送料に充てられ、77回に上る。
佳代さんは「皆さんのご協力で続けてこられ、本当にうれしい。被災地に向けて『いつまでも忘れないよ』というメッセージを届けたい」と話した。
園芸の会代表の臣(おみ)康雄さん(77)は「丸4年たっても被災地に帰れない人も多い。ささやかでも現地で安心して食べてもらえるように野菜を送り続けます」と話していた。
◇ともす祈り 三井寺で法要
天台寺門宗総本山三井寺(園城寺、大津市園城寺町)では午後2時半から観音堂で、導師の福家英明長吏が「東日本大震災の犠牲者のために」と表白を唱え、僧侶11人で読経。参列者約70人が、ろうそくを献灯した。
参列した大津市の上田孝子さん(79)は「ろうそくを献じながら、津波の恐ろしさを思い出した。犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、行方不明の方が、早く家族の元へお帰りになるように願った」と話していた。
同寺では、復興支援の一環として、福島名産の立子山凍(し)み豆腐の販売も行い、売り上げの一部を被災地に寄付する予定という。
また、天台宗総本山比叡山延暦寺(大津市坂本本町)でも、午後2時半から半田孝淳・天台座主の名代として毘沙門堂(京都市)の叡南覚範門主を導師に、約20人の僧侶が法要を営んだ。震災が起こった午後2時46分には、山内の鐘を一斉に鳴らし、参拝者に黙とうを呼び掛けた。
◇生かす教訓 大津で訓練
大津市消防局は、和歌山県沖を震源とする大規模な地震が発生したとの想定で、被災地に派遣する職員や機材などを手配する災害対応訓練を行った。
午前8時にマグニチュード8の地震が発生、大津市でも震度5強を観測したとの想定で実施。初動態勢に見立て、出勤時の職員は消防署や各部署の指定場所に集まり、活動計画に沿って災害対策本部を設置する手順や、庁舎の被害状況を確認するなどした。
その後、消防庁から緊急消防援助隊の出動要請を受け、同市のなぎさ公園に、災害支援車や救助工作車など8車両32人が集まり、一次隊を結成。県内の各隊が集合する場所に指定された名神高速道路の大津サービスエリアへ向かった。
東日本大震災の際、同消防局はのべ22日間、476人を派遣。自身も出動した堀広哉警防課長は「訓練を重ね、いつでも出動できる体制を整えるとともに、若い隊員らに現場の教訓を伝えていきたい」と話していた。