政治そのほか速
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◇ユネスコ登録目指す
越前和紙の手すき事業者らが12日、技術を継承するために保存会を設立することで合意した。国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産になった「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」への追加登録を目指す。27日に設立総会を開く。
昨年11月までに無形文化遺産に登録された和紙は、石州半紙(せきしゅうばんし)(島根県浜田市)、本美濃紙(ほんみのし)(岐阜県美濃市)、細川紙(埼玉県小川町、東秩父村)の三つ。越前和紙は重要無形文化財の技術を個人で保持する「人間国宝」はいるが、技術を保持する団体がなく、文化庁や県と協議しながら保存会の設立準備をしてきた。
この日、越前市内で開いた会合で、県和紙工業協同組合の石川浩理事長は「末永く伝承し、技術の向上と保存を図りたい」と述べた。今後、オランダの画家・レンブラントが版画作品に使った可能性の高い、雁皮(がんぴ)を原料とした最高級和紙「鳥の子」の技術継承の活動を進める。
21日に開幕する選抜高校野球大会(兵庫・甲子園球場)に、21世紀枠で出場する豊橋市の県立豊橋工高野球部。四つの部活動でグラウンドを共用し、困難な練習環境を克服したという21世紀枠の選考条件の一つを満たし、創部68年目でかなえた甲子園初出場には、工業高校ならではの工夫があった。(宮島出)
◇部員も測量、整地
「あれが甲子園のきっかけかもしれない」。就任7年目の林泰盛監督(34)は4年前を思い出す。
いてつくような冬の寒さがグラウンドを包み込んでいた。かじかむ指ではノックを受けても、けがが怖い。屋外でボールを使った練習がほとんどできない時期だ。
そんな時、当時野球部副部長だった大羽芳裕教諭(32)がひらめいた。「あこがれの甲子園と同じマウンドを作ってみたら、部員の意欲も高まるのではないか」。建築科で教え、測量の技術や知識もある。甲子園球場のグラウンド整備を任されている会社に電話し、マウンドの形状などを尋ねると、「うちは公認野球規則通り、1ミリも違わないものを作っている」という答えが戻ってきた。
公認野球規則でマウンドの高さ、勾配などを調べ、高校にある測量機器を使って調べ直すと、かなり違うことがわかった。投球板は沈み込み、25・4センチの規則にある高さはなかった。投球板の下を掘り、割石を敷き詰め、再び沈むことがないように地盤を固め、投球板を置き直した。あとはマウンドの頂点の平らな部分を作り、傾斜をつけて整地する。どれも測量機器を使い、規則に忠実に。この作業に、授業で測量を勉強していた部員が興味を持った。授業が終わると、グラウンドに飛び出し、機器をにらみ、1ミリの誤差もないように整地を繰り返した。
「レギュラーになれない選手もこんな方法で力になれる。楽しくて仕方ないようでした。実は工業高校にはやれることがたくさんあったんです」と大羽教諭。
ほかの部員はいつの間にか石拾いを始めた。練習前の5分間、黙々と拾い、高校野球の聖地のマウンドを再現した。投球板を頂点にした美しい稜線はみるみるダイヤモンドをのみ込み、その裾野を広げた。グラウンドの周囲を巡る側溝の泥まですくい始め、大羽教諭らを驚かせた。部員の意識が大きく変わった。
◇手作りの道具残す
昨年3月卒業した元主将で、田原市の会社員水野悟さん(19)はこのダイヤモンドができた春に入部した。「おしゃべりしながら石拾いをしていると『黙ってやれ』と注意されました。先輩たちの思いが伝わってきました。本当に、イレギュラーバウンドの少ないグラウンドだと感じました」と振り返る。
卒業生が学んだ溶接や電気工事などの技術を生かし、練習に役立つ道具を残していく伝統も、この時期から本格的に始まった。水野さんの代は防球ネット、試合用のバット立てなど。強豪校なら当たり前にあるカウントの表示板やスコアボード、グラウンド整備用のトンボのほとんども手作りだ。少ない資金の中、先輩たちの思いと技を込めた道具が、後輩たちの成長を後押ししてきた。
和歌山県出身のグラフィックアーティスト松田光一さん(34)が、熊野古道などの世界遺産をテーマに描いた作品を展示する「世界遺産図展」が、尾鷲市向井の県立熊野古道センターで開かれている。入場無料で4月5日まで。
松田さんは20歳代後半頃から、世界遺産に興味を持つようになり、当初は写真や資料を基に描いていたが、次第に世界遺産を旅し、作品を制作するようになった。現地では、ペンや水彩絵の具で世界遺産をスケッチ。その後、描いた絵をパソコンに取り込み、CGなどを使って仕上げる。鮮やかな色づかいが特徴だ。
企画展では、熊野古道や獅子岩(熊野市)のほか、パリのセーヌ河岸(フランス)や、グレート・バリア・リーフ(オーストラリア)など44点が展示されている。松田さんは「熊野古道の景観や世界観を楽しい色遣いで人々に伝えたい」と話している。
中津川市千旦林の中京学院大の学生らが、同市の苗木遠山史料館の土産物の開発に取り組んでいる。学生らは「史料館の新しい名物になれば」と意気込んでいる。
苗木城跡近くにある同史料館は、中世・戦国時代から明治初期まで、苗木遠山家の資料を中心に文化遺産などを保存、公開している。これまで土産物がなかったことから、同史料館とボランティア団体「苗木城跡・苗木遠山史料館友の会」が昨年、同大に土産物の開発を依頼した。地域と大学連携の一環で、地域活性化や経営戦略を学ぶ経営学部経営学科3年の15人が参加している。
土産物として友の会が要望したのは、絵はがきとせんべい。昨年秋から学生らが、名古屋城など近隣の城で市場調査をしたり、印刷業者と打ち合わせを行ったりしてきた。
2月27日に行われた3回目の打ち合わせでは、絵はがきに使う写真選びなどが行われた。もやがかかった苗木城跡の遠景や、苗木城などを復元したCG(コンピューターグラフィックス)加工の画像を見ながら、「もらってうれしいようなはがきにしたい」「単調な色ではなく、空の青や植物の緑などを入れた方がいいのでは」などと意見交換した。
せんべいは既存の商品にラベルなどを貼ることとし、絵はがきは6種類を販売する計画で、いずれも4月頃の商品化を目指している。同大の小林賢也さんは「苗木城跡の魅力が伝わり、『また来たいな』と思えるような絵はがきにしたい」と話している。
◇警報段階で設置、即応
県は12日、県地域防災計画を改定した。国の防災基本計画の修正内容を反映させたほか、土砂災害や大雪、津波、地震の際の初動対応を強化する県独自の見直しも加え、この日、県庁で開かれた県防災会議(会長=西川知事)で改定案が了承された。
土砂災害なら「記録的短時間大雨情報」などが発令される、大雪対応なら幹線道路で大型車が立ち往生する――など、災害に至る前の、危険度が高まった段階で安全環境部長がトップの「災害対策連絡室」を設置。集まった職員が情報収集や市町や関係機関との連絡調整にあたり、被害の未然防止や軽減を図る。
従来は災害に至っていない場合は、危機管理部門の少人数の職員らだけで対応。災害が発生してから知事がトップの災害対策本部を設けていたが、より早い段階で即応できる態勢を敷く。
連絡室の設置基準も「土砂災害警戒情報」「大雪警報」の発令などと具体的に定め、桜本宏・安全環境部長は「災害が生じてからではなく、災害が生じる前の段階から部局全体で臨む。態勢構築時は躊躇(ちゅうちょ)がありがちだが、基準を明確化した」と説明した。
このほか、原子力発電所の重大事故時など多数の被曝(ひばく)患者が出た際、軽度の患者に対応する初期被曝(ひばく)医療機関で受け入れきれない患者に対応する「初期被曝(ひばく)医療支援機関」に国立病院機構あわら病院や坂井市立三国病院など5病院を新たに指定。この改定で被曝(ひばく)医療機関は10から15に増えた。