政治そのほか速
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
第18回統一地方選後半戦は21日、122町村長選と373町村議選が告示された。町村長選には199人が立候補。このうち、11回連続で無投票になった北海道初山別村など、53人が無投票当選を決めた。
◇
初山別村長選は1975年以来、道内過去最多の11回連続無投票。3選を果たした無所属現職の宮本憲幸氏(57)の後援会幹部は「小さな村なので、隣同士がいがみ合う選挙は繰り返したくない思いはある」と複雑な思いを語る。
道北部の日本海に面した村の人口は、59年のピーク時の4分の1に満たない約1300人で、農林漁業が主たる産業だ。
最後の選挙戦となった44年前の村長選では、農協幹部と元町教育長の新人2人が激しい戦いを繰り広げ、村が二分されて選挙違反による逮捕者も10人出た。当時を知る村の関係者によると、一時住みにくくなって村を離れた人もいたといい、村民には「村が二分されたらしこりが残る」と、えん戦気分がいまだに漂っているという。
宮本氏は11回目となった村長選の無投票について「その意味を深く考え、少しでも住民の声を拾い上げる努力をする。地域に出向き、住民と対話をする機会を多くしたい」と語った。宮本氏の後援会長で元村議会議長の高沢国雄さん(76)は「優れた村長に恵まれた面もある。選挙戦になった方がいいとの声はあるだろうが、村民が選んだ候補を村民が無投票当選させるのも、地域の選択ではないか」と話す。
また音威子府(おといねっぷ)村長選も無所属現職の佐近勝氏(60)が無投票で再選され、同村長選は5回連続の無投票となった。【横田信行】
天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が21日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、赤崎勇・名城大教授(86)ら昨年のノーベル物理学賞受賞者3人を含む各界で功績があった約1800人が出席した。
赤崎教授は車いすで出席。以前、皇居に招待されたことにお礼を述べると、天皇陛下は「お大事に」と優しく声をかけられた。
また、昨年12月の小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げを担当した国中均さん(54)が、通信が途絶えながらも地球に帰還した「はやぶさ」のプロジェクトにも関わったことを説明すると、「ずいぶん心配されたでしょうね」と話された。
このほか、東日本大震災で被災し、昨年4月に全線で運行を再開した三陸鉄道(岩手県)の望月正彦社長(63)には、「地域の人も喜んでいるでしょうね」とねぎらわれた。同社は震災当時、運転士らが乗客や地域住民を避難させた。皇后さまは「あのときは大勢の人を誘導してくださって、ありがとうございました」と述べられた。
両陛下は予定時間を約20分超えて約1時間10分にわたり招待客と親しく歓談された。
JR福知山線脱線事故から10年たつのを前に、シンポジウムに参加した負傷者と支援者ら=19日午後、兵庫県川西市
兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故から25日で10年を迎えるのを前に、負傷者や支援団体でつくる「思いをつなぐ連絡会」が19日、同県川西市内でシンポジウム「JR福知山線脱線事故~わたしたちの10年、そしてこれから」を開いた。負傷者や支援者らが意見交換。「苦しんでいる人の励みになれば」などと訴えた。
パネリストとして登壇した同県伊丹市在住の玉置富美子さん(65)は3両目で負傷。事故で車外に投げ出され、右顔面神経を切断、両足のかかとを深くえぐる重傷を負った。病院に搬送された際に足からストッキングを取り外したときの痛みは忘れられないという。その後も足の痛みに悩まされ、カートやつえ無しでは歩けない状態が続き、顔面の手術も20回を超えた。
玉置さんは現在、奈良市の病院に入院する。今年1月にかかとの手術を受け、カートなしで1万歩程度歩けるほどに回復した。「事故から10年がたって、医師らとの不思議な縁が自分を救ってくれたと実感する。今歩けるようになったことが他の苦しんでいる人々の励みになってくれれば」と話した。
シンポジウムを企画した負傷者の小椋聡さん(45)も登壇。開催の趣旨について「災害や事故で苦難の渦中にある人たちが、私たちと経験を共有することで、さらに10年後には笑えると思えるようになってほしい」と説明した。
約100人が来場。ノンフィクション作家の柳田邦男氏も招かれ、「事故や災害に遭ったときにどう生きるかを考える上で、この事故の被害者のひたむきに生き方を求める姿勢が多くを教えてくれる」と話した。
統一地方選の市長選挙(4月26日投開票)を控えた神奈川県茅ヶ崎市で『木村竹彦副市長のサーフィン溺死事件』の真相を解明しようという動きが出ている。事件をざっと振り返ろう。
同市とハワイ・ホノルル市との間で姉妹都市協定締結式が行われたのが、昨年10月24日。調印式や祝賀パーティーなどの“公務”を終えたはずの木村副市長が、翌25日の朝8時20分に搬送先の病院で「溺死」(市は公務中の事故と処理)と確認され、市長の説明が二転三転したため、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。県政関係者が疑問点を整理する。
(1)副市長はサーフィン未経験者、しかも心臓に持病を抱えた上(市関係者の証言)、前夜に深酒している。
(2)総領事館から「締結を祝してサーフィンを行わないか」との提案があったというが、ホノルル市側は参加しておらず、しかもライフセーバーもいない早朝6時半から服部信明市長を含む市職員ら6人のみで行うという違和感に加え、市長、副市長、総領事館の重枝豊英総領事以外の3人の氏名は未公表。
(3)副市長の女性秘書役が騒動になった昨年12月から長期休暇を取っている(市は「現在も復職していない」と小誌に回答)。
「真実は市長と職務上死因を確認しなければならない総領事の2人しか知らない。ひょっとして秘書役も知っているから、いまだ休んでいるのではと勘繰りたくなります」(市庁舎内関係者)
別の市関係者は、公務にしなければならない事情があったのではと言う。
「遺体を運ぶには莫大なカネが掛かる。だから公務=保険適用にせざるを得なかったのかもしれません」
こうなると保険金詐取の疑いも出てくるが、そんな折、締結終了にもかかわらず、最重要ともいえる3月議会をほったらかして3月6日から10日まで服部市長はハワイに飛んだ。これが市関係者の間で憶測を呼ぶことになった。
現地の重枝豊英総領事は湘南地域の出身。議会を休んでまで、服部市長は何を話し合いに行ったのか。
市長は「締結の事後処理」と返答したのだが…。
女性が30代も半ばを迎えると、気になってくるのが今後の自分の女としての立ち位置。自然のままに任せるとどうしたってオバさん寄りに近づいていってしまうわけで、それに気付いた時にどうするかによって、その後の「オンナ現役感」が左右される。
しかしこの現役感を維持しようと外見磨きがいきすぎると、それは「美魔女」となって世間からバッシングを受けることとなる。4月13日に放送された「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)でも、出演者VS美魔女らの激しいトークバトルが繰り広げられた。特に毒を吐いていた出演者が、小藪千豊とミッツ・マングローブだった。
■ミッツも強烈批判「若作りの根底にあるのは痛々しさ」
「いい年こいた美魔女をチヤホヤする国に未来はない」との考えを持つ小藪は「美魔女が跋扈(ばっこ)すると若い子も美ばかりを追い求める」と危惧し、自分磨きより子育てに必死な主婦らを賛美すべきだと批判していた。これに対し美魔女らは、こう反論していた。
「女性に生まれたからにはいつまでもキレイにいたい」
「人に迷惑をかけていない。自己満足なんですよ」
さらに強烈な批判をしていたのがミッツで、美魔女らを目の前にしながら、「若作りの根底にあるのは痛々しさ。若作りとか厚化粧を『美魔女』ってことで正当化している」、美魔女コンテストに関しても「けっこう熟してらっしゃるから、みずみずしさがない。タイのニューハーフショーに見えた」と鋭い目つきで言い放った。怖い。
美を追求する美魔女らだが、ビートたけしは「毎日一緒にいる美人のカミさんより、たまに会うブスの方がいいぜ」と持論を展開。正直な「生物としての」男の意見である。すかさず「そんなこと言うからクラブに行ったらブスばかり集まるんだよ」と大竹まことが突っ込むと、スタジオに笑いが起きた。しかし次の瞬間、
「そういう会話の方が追い詰めますよ。そうやって『ブス』っていうワードで笑いになっているのをみると、女の人は『美人』って言われる側にいかなきゃって」
と小島慶子が怒っていた。しなやかでないなぁ。
■盛り過ぎない森高。美魔女の必死さと対照的
ところで、最近でいうと森高千里は「美魔女」とはあまり言われない。おそらくそれは彼女が盛り過ぎていないからである。頑張っている感がなく、メイクにしたってファッションにしたってナチュラルなのだ。だから批判的な目で見られない。
23歳の若さで「私がオバさんになっても」という歌をヒットさせた彼女は、最盛期ですでに「自分が若さでチヤホヤされなくなる」といい行く末を見通している。…