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ロセイ前会長(左)の辞任会見でのバルトメウ会長(右) [写真]=Anadolu Agency/Getty Images
バルセロナのジョゼップ・マリア・バルトメウ会長が裁判で聴取を受けた。その内容をスペインのラジオ局『カデナSER』が報じ、27日付の同国紙『マルカ』が伝えている。
バルトメウ会長はブラジル代表FWネイマールが移籍加入した際に脱税を行った容疑で、懲役2年以上を求刑されていた。
同会長は「2013年、当時チームを率いていたティト・ビラノバ監督が、クラブの予定より1年前倒しにする形でネイマールを欲しがっていたために同選手を獲得した。それに、ロセイ前会長がネイマールの父親と交渉していたんだ」と、自身に責任はなく、2014年に亡くなったビラノバ氏と、当時会長を務めていたサンドロ・ロセイ氏に問題があったと語っている。
さらに同紙によると、ロセイ前会長が秘密裏にネイマールと契約交渉を行っていたことも、バルトメウ会長により明かされていたという。
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動画提供:2015©Next Media Animation Limited. 東京電力福島第1原発事故を受け、台湾で輸入が禁止されていた福島、茨城、栃木、群馬、千葉の5県で製造された食品が、産地を偽装して流通していたと、台湾の食品衛生当局が3月24日に発表した。
検査の結果、これまでに商品から放射線は検出されていないものの、当局は百貨店やスーパーなどに対象となる商品の回収を命じた。
問題の商品は、5県の工場で製造されたインスタントラーメン、チョコレート、クッキー、しょうゆなどの食品294種類。商品には、他の都道府県産とする中国語のラベルが貼られており……。
川崎戦に先発出場した奈良輪(左) [写真]=Getty Images
横浜F・マリノスは27日、DF奈良輪雄太の検査結果を発表した。
奈良輪は26日の練習中に負傷し、左膝内側側副じん帯損傷で全治6週間と診断された。
現在27歳の奈良輪は横浜FMの下部組織出身で、筑波大学を卒業後、当時JFLに所属していたSAGAWA SHIGA FCに入団。同チームの活動休止にともない、2013年に横浜FMへ加入している。今季は川崎フロンターレとの明治安田生命J1リーグ開幕戦で先発出場を果たすと、公式戦4試合すべてにメンバー入りをしていた。
横浜FMは28日に行われるヤマザキナビスコカップ第2節で、清水エスパルスと対戦する。
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リヴァプール一筋17年。ジェラードは愛するクラブのために全身全霊を賭してプレーした [写真]=Getty Images
1998年11月29日のブラックバーン戦。ヴェガード・エッゲムとの交代で、初めてプレミアリーグのピッチに入ってきた18歳の青年を見て、リヴァプールのファンは「あのやせっぽちのガキは誰だ?」とつぶやいた。
本人いわく、右サイドバックでプレーしたデビュー戦は「ポール・インスには怒鳴られるし、(マッチアップしたブラックバーンの)ダヴィド・ジノラにはおちょくられるし、最悪だった」という。だが、マージーサイド郊外の街ハイトンで生まれ育ち、エヴァトニアンの親戚に青いシャツを着せられようと、アレックス・ファーガソンの誘いを受けようとも、愛するレッズでのデビューだけを夢見てきたスティーヴン・ジェラードにとっては、夢が叶った瞬間だった。
それからおよそ17年。ジェラードは何度もアンフィールドに魔法をかけ、ファンを魅了してきた。やせっぽちの少年が「キャプテン・ファンタスティック」と呼ばれる英雄に変わっていく過程を、彼の背番号と同じ8つの名シーンとともに振り返る。
【初タイトルは「カップトレブル」】
ジェラードが初めてタイトルを獲得したのは、“カップトレブル”を達成した2000-01シーズンのこと。
リーグカップ、FAカップに続く3冠目となったアラベスとのUEFAカップ決勝は、延長戦の末に5-4という死闘だった。ジェラードはこの試合、見事な飛び出しからマイケル・オーウェンのパスを受け、右足を振り抜いてネットを揺らし、国内だけでなく欧州の舞台でも存在感を示すことに成功した。なお、この大会で得意のプレースキックを武器に大活躍したのが当時36歳のMFギャリー・マカリスターだったが、若き日のジェラードにとって、隣でプレーする百戦錬磨のベテランは素晴らしい“教科書”だった。
【宿敵ユナイテッド相手の初ゴール】
宿敵マンチェスター・ユナイテッドから奪った初ゴールは、2001年3月31日、アンフィールドでのゲームだった。
開始16分で決めた先制点にして決勝点は、ジェラードのスタイルを象徴するようなボックス外からの豪快なロングシュートだった。その後、ジェラードは何度も宿命のライバルチームを苦しめてきた。フェルナンド・トーレスとの黄金コンビで4-1と大勝した08-09シーズン、3本のPKを蹴って2本を決め、3-0で勝った13-14シーズンと、“テレビカメラにキス”という名セレブレーションが生まれたオールド・トラッフォードでの2試合を覚えている人は多いはず。それだけに、わずか38秒で退場してしまった先日のラストバウトが悔やまれるばかりだ。
【23歳でキャプテン就任】
「時々、メルウッド(練習場)から帰宅するドライブの途中で車を止めて、自分に言い聞かせるんだ。『オレはリヴァプールFCのキャプテンなんだ』ってね」
2003年10月、ジェラール・ウリエ監督は、23歳のジェラードをキャプテンに指名した。それまで荒っぽさが目立ったジェラードのプレーが改善され、振る舞いに責任感が生まれたのはこの出来事が大きなきっかけだ。ちなみに、主将になって最初にした仕事は、シーズン途中に腕章を奪われてしまう形になったサミ・ヒューピアに謝罪をすること。リヴァプールという名門を束ねることの誇りや意味を知っているからこその行動だった。
【トロフィールームでの残留宣言】
今年1月にアメリカ行きを発表するまで、ジェラードの移籍が現実味を帯びた唯一の時期が、04年〜05年にかけてだった。
ジョゼ・モウリーニョ監督から熱烈なラブコールを受け、チェルシーから当時の倍額となるサラリーを提示されたジェラードだが、04年の夏にアンフィールドのトロフィールームで記者会見を開き、こう話している。
「僕は自分の心に従うよ。チェルシーに行くつもりはない」
世界中の注目が集まる中での残留宣言。1年後、イスタンブールで奇跡を起こしたジェラードは、2年連続でチェルシーが提示してきたオファーも「あんな夜を経験した後に移籍するわけがない」と一蹴している。
【オリンピアコス・ビューティー】
逆境でこそ、真価を発揮する。そんなジェラード評を確立したのが、04-05シーズンのCLオリンピアコス戦だろう。
グループステージ最終節。試合は残り5分を切り、決勝トーナメント進出にはどうしてもあと1点が必要だった。その瞬間、ジェラードは眼前にやってきたボールを無心で叩いた。右足から放たれたシュートがまっすぐゴールネットに突き刺さる。
「Ohhhhhhhh Ya Beauty!」
テレビを通じて英国中に響き渡った解説者アンディ・グレイの大絶叫は、今でもファンの耳に残っている。
【イスタンブールの奇跡】
上記オリンピアコス戦で魔法を使ったジェラードは、チームをイスタンブールでの決勝に導いた。だが、そこでも試練が襲い、ミランを相手に前半でなんと3点ビハインド。誰もが優勝を諦めた。
しかし後半開始直後、ヨン・アルネ・リーセのクロスにヘッドで合わせたジェラードのゴールが、すべてを変えた。キャプテンに煽られたサポーターが一瞬で息を吹き返し、さらに2点を追加したリヴァプールはあっと言う間にスコアをタイに戻すと、延長、PK戦の末に大逆転でビッグイヤーを手に入れた。
延長戦、ジェラードは右サイドバックに入ってミランの“ジョーカー”だったセルジーニョのドリブルを必死に食い止めた。奇しくもデビュー戦と同じポジションで栄光のために奮闘した彼の姿に、心を打たれたファンは数知れない。
【FAカップの「ジェラード・ファイナル」】
ジェラードの魅力が凝縮されたような試合だった。だからこそ、06年のFAカップ決勝は“ジェラード・ファイナル”と呼ばれている。
ウェストハム相手に2点を先制されたリヴァプール。キャプテンは美しい放物線を描く得意のロングパスでジブリル・シセの得点をアシストすると、自らも豪快なボレーを決めてスコアは2-2に。だが、ラスト25分で相手に勝ち越しを許し、絶体絶命かと思われた90+1分。またしてもジェラードが魅せた。相手のクリアボールを30メートル超の距離からダイレクトで叩き、起死回生の同点ゴール。その勢いのまま、リヴァプールはPK戦を制した。後にジェラードは、もし足にケガを負っていなければロングシュートは選ばずにボールをトラップしていたと明かしている。まさに、“怪我の功名”が生んだ名場面だった。
【記念のダービーでハットトリック】
2012年3月14日のマージーサイドダービー。1点目は左足で柔らかく、2点目は得意の右足で豪快にネットを揺らすと、最後は終了間際に、相棒ルイス・スアレスの完璧なお膳立てからハットトリック達成。ジェラードにとってプレミア400試合目という節目のゲームを完璧な形で飾るとともに、この日がエヴァートンの監督就任10周年の記念日だった敵将デイヴィッド・モイーズに赤っ恥をかかせたあたりも、レッズの英雄が千両役者たるゆえんだ。
「キャプテンなら、なんとかしてくれる――」
8つの名場面を見てきたからこそ、サポーターはジェラードに夢を見て、ジェラードを愛してきた。
「THE BEST THERE IS, THE BEST THERE WAS AND THE BEST THERE EVER WILL BE」
今年1月、退団を発表した直後にゴール裏のファンが掲げたフラッグにはこんな文字が刻まれていた。
現在ベスト、歴代ベスト、そして永遠にベスト。
これこそ、“コップ”たちの偽らざる思いなのだ。
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初日は首位に3打差の4位タイと好スタートを切ったフィル・ミケルソン バレロテキサスオープン(2015)(1日目) 写真・Getty Images
バレロテキサスオープン(3月26日~29日、米国テキサス州・TPCサンアントニオ、7522ヤード、パー72)
現地時間26日に開幕したバレロテキサスオープン。風速10メートルを超える強風という厳しいコンディションとなった初日。チャーリー・ホフマンが5アンダーの単独首位に立ち、2アンダーの4位タイにフィル・ミケルソン。注目のジョーダン・スピースは1アンダーの6位タイにつけている。
今季5試合中2回の予選落ち、17位タイが最高位と調子の上がらないフィル・ミケルソン。前半を2バーディ、1ボギーで折り返し、後半の10番、12番をボギーとしたものの、14番のバーディでイーブンに戻し、17番、18番を連続バーディでフィニッシュ。2アンダーの70をマークして4位タイ。2週後のマスターズに向けて弾みをつける好スタートを切った。
一方、2週前にツアー2勝目を挙げた地元テキサス出身のジョーダン・スピース。6番でティショットを右に曲げてボギーをたたくと、続く7番も連続ボギー。前半は2オーバーで折り返し、14番パー5で6.5メートルを沈めてイーグル奪取。17番の距離の短い(347ヤード)パー4では1オンを狙い、グリーン左に外したもののアプローチを50センチに寄せてバーディ。71の1アンダーで回り、初日は首位に4打差の6位タイにつけた。
5バーディ、ノーボギーの67をマークしたチャーリー・ホフマンが5アンダーの単独首位。大会開催地のサンアントニオに在住し、フェデックスランキング1位のジミー・ウォーカーは、1アンダーで6位タイ。ディフェンディングチャンピオンのスティーブン・バウディッチ(オーストラリア)は80をたたき、8オーバーの111位タイと大きく出遅れた。
また、今大会と欧州ツアーのハッサンII世トロフィー終了時点で、ワールドランキング50位以内の選手がマスターズの出場権を獲得する。なお、今大会に日本選手は出場していない。
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