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日本化学会は化学遺産として、早稲田大学が所蔵する宇田川榕菴(うだがわ ようあん)(1798~1846年)化学関係資料など5件を新たに選んだ。化学遺産は、化学と化学技術に関する歴史資料の保存と利用を推進するため、2010年から始まった。6回目の認定で、計33件となった。推薦や応募があった全国24件から、同学会化学遺産委員会(委員長・植村榮京都大学名誉教授)の委員らが実地調査して、歴史的価値がある資料を選んだ。5件のうち、日本の化学工業の発祥に関わる資料が4点を占め、身近な商品の源流を示す遺産が目立った。植村榮委員長は「こういう資料をよくぞ残してくださった」と関係者に感謝した。3月27日(金)午後に千葉県船橋市の日本大学船橋キャンパスで開かれる日本化学会で市民公開講座(参加無料)を開き、新たに化学遺産になった5件について専門家が解説する。
化学遺産の新たに認定された5件は次の通り。
「早稲田大学所蔵の宇田川榕菴化学関係資料」。『舎密開宗(せいみかいそう)』(1837~47年)の著者として知られる化学の開拓者、宇田川榕菴の足跡を示す資料群は主に武田科学振興財団杏雨書屋(きょううしょおく)と早稲田大学図書館に所蔵されている。前者は化学遺産第1号として2010年に認定された。今回は、早稲田大学の資料の価値を評価し、『舎密開宗』の草稿や校正本など計38点を化学遺産とした。榕菴自筆の彩色のヒポクラテス像や顕微鏡も含まれる。同図書館webページ上の古典籍総合データベースに公開されている。「工業用高圧油脂分解器(オートクレーブ)」。油脂化学工業の近代化は油脂の分解技術の開発で始まった。1910年に設立されたライオン石けん工場は、ドイツから銅製オートクレーブを輸入して、ヤシ油から高品質な脂肪酸とグリセリンを作ることに成功した。この脂肪酸から日本初の高純度な洗濯石けんが製造され、広く普及した。化学遺産として認定されたオートクレーブは高さ4m外径1mで、ライオン平井事業所(東京都江戸川区)に現存する。国内最古で、油脂化学工業の近代化の創成期を物語る貴重な資料である。「日本の工業用アルコール産業の発祥を示す資料」。工業用アルコールは発酵法が主流を占める。国内では酒造会社が1934年と35年に生産を始めた。その後、ガソリンの代用燃料確保と農村振興を目的に、1938~42年にイモを原料とする国営13工場が全国で続々と建設され、無水アルコールが大規模に生産されるようになった。このうち、鹿児島県の旧国営出水アルコール工場(現・日本アルコール産業出水工場)のもろみ塔、静岡県の旧国営磐田アルコール工場(現・日本アルコール産業磐田工場)の蒸留塔の棚段2点を認定した。「日本の塗料工業の発祥を示す資料」。塗料の国産化は日本ペイントの前身の光明社が1881年に設立されたことに始まる。1878年に高純度亜鉛華の製法を確立し、翌79年には洋式塗料の堅練り塗料の製造に成功した。さらに、塗装現場で希釈する必要のない溶解塗料を開発し、塗料が広く普及するきっかけとなった。光明社は1898年、日本ペイント製造と改称し、塗料メーカーへと発展していった。日本ペイントホールディングス(大阪市)には、光明社で製造された亜鉛華など、塗料工業の発祥と変遷を示す資料類が保存されている。「日本のナイロン工業の発祥を示す資料」。米デュポン社のカロザースが1935年に発明したナイロン繊維の衝撃は日本にも及び、東洋レーヨン(現・東レ)などが戦中に工業化を図った。戦後まもなく東洋レーヨンはデュポンとナイロン技術援助契約を締結し、51年にナイロン糸の本格生産を開始した。静岡県三島市の東レ総合研修センターに多数保管展示されている関係資料のうち、42年に日産5㎏の溶融紡糸に成功したナイロン紡糸機、戦後の本格生産に使われた紡糸機、開発期のナイロン見本と製品などを化学遺産とした。
写真1. 新たに化学遺産に認定された5件の集合写真(提供:日本化学会)
写真2. 化学遺産になった工業用高圧油脂分解器(オートクレーブ)=東京都江戸川区のライオン平井事業所(提供:日本化学会)
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