政治そのほか速
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国と沖縄県の激しい対立が続く基地問題です。中谷防衛大臣は31日、新たに海底調査を6月までに終え、夏ごろには本体工事に乗り出す考えを示しました。翁長知事の作業停止指示を無効とされた沖縄県側では、次の対抗策を模索しています。
翁長知事が出した作業の中止指示の効力を一時停止する、林農水大臣がこう決定を下してから一夜が明けました。辺野古周辺では、反対派と警官がもみ合うなど対立が激しさを増しています。31日の衝突で、抗議集会の参加者が公務執行妨害の容疑で逮捕されました。釈放を求める人たちが警察車両の前に立ちはだかり、現場は一時騒然となりました。
海の上でも反対派と海上保安庁のにらみ合いが続きました。立入禁止区域に入ったとして、海保の船でえい航される船も。
一方、政府側は・・・。
「6月までにボーリング調査を終えて設計に反映して、可能であれば夏にも護岸工事を含む埋め立ての過程に着手したい」(中谷元防衛相)
今、行っているボーリング調査は6月までに終え、その後、本体工事に移る考えを示しました。
翁長氏は、次の一手をどう打つのでしょうか。今回の国の決定について、翁長氏周辺はこう語ります。
「県の主張が受け入れられなかったのは想定内の出来事」(翁長知事周辺)
長年、辺野古の埋め立て取り消しに取り組んできた新垣弁護士は、法廷闘争も視野に入れ対抗すべきと主張します。
「沖縄防衛局の審査請求が適法なのか、司法の場で決着をつける」(新垣勉弁護士)
「いろいろな選挙を通じて沖縄の民意が示されている。それをバックに、いろいろと国とも話させていただきたい」(沖縄県・翁長雄志知事)
沖縄の人々は、翁長氏にどういった行動を期待するのでしょうか。
「県民の目に見える形で努力してほしい」(沖縄県民)
「翁長さんがやっていることを貫いてほしい」(沖縄県民)
夏に埋め立て工事は行われるのでしょうか。十分な対話のないまま、政府と沖縄県の亀裂は深まるばかりです。(31日21:11)
東京・隅田川沿いの隅田公園では31日、穏やかな天気に誘われて、仕事帰りに夜桜を楽しむ人たちでにぎわった。
この日は、最高気温が平年より7・5度高い23・2度となり、5月中旬並みの陽気となった。
千葉県市川市から友達と訪れたパート従業員の女性(49)は「雪が積もっているように見える夜桜は風情があっていいですね」と話していた。
日本気象協会によると、同公園のサクラは満開で、今週末までが見頃という。
政府は31日の閣議で、首都直下地震の防災対策をまとめた「首都直下地震緊急対策推進基本計画」を見直し、東日本大震災後の被害想定に基づく初めての減災目標を盛り込んだ新たな基本計画を決めた。同地震で想定される死者数(最大約2万3000人)と全壊・焼失の建物数(最大約61万棟)を、2024年度までの10年間でおおむね半減させると規定。目標達成のため、地震の揺れを感知して自動的に電気を遮断する「感震ブレーカー」の普及率を10年間で25%にするなど、関係省庁が推進すべき対策の数値目標を掲げた。
【地殻変動続く東日本】地震発生頻度に地域差 頻度100倍地域も
首都直下地震を巡っては、政府は13年に施行された特別措置法に基づき、昨年3月に同計画を閣議決定。一方、15年度までの減災目標を定めた「地震防災戦略」が見直しの時期を迎えたことから、13年に発表した被害想定を基に新たな減災目標を定め、同計画に取り込むことにした。
政府の想定では、首都直下地震は今後30年間に70%程度の確率で起きるとされ、都心南部直下を震源にマグニチュード7級の地震が起きた場合、建物の倒壊や地震による火災で死者は最大約2万3000人に上るなどとしている。このため新たな基本計画では、現在はほとんど普及していない感震ブレーカーについて、特別措置法に基づき同地震対策を重点的に進める「緊急対策区域」(10都県の309区市町村)の密集市街地で24年度設置率を25%にする数値目標を初めて設定。また国の住生活基本計画に沿い、住宅の耐震化率95%(08年推計で79%)を20年の全国目標として示した。
同計画では、地震発生後も首都中枢機能を維持するため、数値目標を含めた中央省庁や大企業の対策も定めた。例えば、緊急時に対応する省庁職員を参集するシステムの構築率や、参集職員用の1週間分の食料など物資の備蓄率を、それぞれ来年に100%にしたり、事業継続計画(BCP)を策定している大企業の割合を10年間で100%に近づけたりすることを目指す。
さらに、地震後の復旧・復興を円滑に進めるため、災害廃棄物対策の重要性を指摘。東京都と神奈川、埼玉、千葉3県の全市町村で昨年42%だった処理計画の策定率を100%に近づけることを目標に掲げた。
政府は昨年3月、南海トラフ地震の防災対策推進基本計画をまとめ、想定死者を10年間でおおむね8割減らせるなどの減災目標を示したが、首都直下地震の基本計画に減災目標は盛られなかった。明治大の中林一樹特任教授(都市防災)は「国が具体的な数値目標を掲げたことは、これだけやれば被害を減らせるというメッセージになり評価できる。ただし、目標をいかに実現するかが課題で、住民による防災対策への補助制度の整備など、目標達成に向けた実施計画づくりを自治体に促さなければならない。それには財政支援など国の仕組み作りが必要だ」と話している。【奥山智己、狩野智彦】
4月2日、ホンダが新型2シーター・オープンスポーツの「S660(エスロクロクマル)」を発売する。
ビート以来19年ぶりとなる軽スポーツカーで、名前からしても「S600(エスロク)」の系譜といえる往年の旧車ファンならばグッと来る名前だろう。
ビート同様、ミッドシップエンジン・リアドライブを採用し、高剛性と軽量化を両立した専用開発ボディーで運転する楽しさが味わえる仕様になっている。希望小売価格はマニュアル車、オートマチック車とも298万円からと軽自動車としては少々割高ながら、軽オープンカー市場で人気を博しているダイハツのコペンとはまた違ったスポーティなアプローチで新たなファンの獲得は必至と思われる。
⇒【画像】はこちら http://hbol.jp/?attachment_id=31311
もっとも、個人的には「エス」の系譜であるならば、中身は最先端でも外観だけでも思い切ってクラッシックな「エスロク」的なものだったらよかったという気もしないでもない。
というのも2015年版ジュネーブ国際モーターショーでシトロエンが発表した「DS21パラス」などは、見た目が昔ながらのシトロエンでありながらも中身は最新という斬新なモデルで話題になっているのだ。
このDSは1955年に登場した「シトロエンDS」の遺伝子を継承して新たにシトロエンがブランド展開するもので、2015年版として発表されたシトロエンDS21パラスはまさしく60年の歴史へのオマージュと位置付けられた車。まあこちらはまだショーで発表されただけなので単純に比較はできないのだが、日本の「エスロクロクマル」も、かつての「エスロク」的なものだったらまた一味違った面白い存在になっていたかも……と思わずにはいられないのだ。
とはいえ、こう思うのもおっさんの懐古趣味的なものに過ぎないかもしれない。何しろ、「S660」は、懐古趣味に囚われたおっさんではなく、26歳というこれからを担う若い世代が開発責任者となって生まれた車なのだ。
車離れなどと言われる20代が開発した軽スポーツカー。再びドライビングの楽しみを若者に広められる存在になることを期待したい。
<文/HBO取材班>
2015年2月、川崎市多摩川の河川敷で男子中学生(13歳)が殺害された事件で、発生後1週間後に少年3名が逮捕された。『週刊新潮』は3月12日号で、少年法に反してリーダー格だった無職少年(18歳)の実名と顔写真を掲載し、大きな話題を呼んだ。同誌編集部は朝日新聞の取材に対し「事件の残虐性と社会に与えた影響の大きさ、そして主犯格とされる18歳の少年の経歴などを総合的に勘案し、実名と顔写真を報道した」とコメントした。
この事件がマスコミによって連日大々的に報道されたことで、再び少年法改正の議論が沸き起こっているが、今から18年前にも今回と同じような光景が、メディアによって、連日繰り返されたことを、思い出さずにはいられない。
18年前、世間を震撼させた事件の容疑者として逮捕された少年の顔写真を掲載したのは、今回の川崎の事件と同じ新潮社の写真週刊誌『フォーカス』だったからだ。
少年Aの隣家に警察関係者が住んでいた?
学校の校門に置かれた、切い落とされた首。そして血を連想させる赤文字で綴られた警察への挑戦状──。
前代未聞の猟奇殺人事件として、世間を震撼させた「神戸児童連続殺傷事件」(通称「酒鬼薔薇事件」)からすでに18年が経過した。事件の犯人として逮捕された当時14歳だった少年Aもすでに出所し、法的に事件には一応のピリオドが打たれている。2015年3月には、事件の被害者の女児(当時10歳)の遺族のもとに、弁護士を通してA(32歳)から手紙が届いたことが報道されたが、今なお 事件にまつわる多くの謎が未解明のまま放置されている。
それゆえ、一部の人権派弁護士や極左団体は事件発生当初から、公安・警察の捜査発表に嘘や改竄があるとして、「少年A=冤罪説」を展開した。
「冤罪説が根強いのは知っているが、冤罪ではないだろう。ただ、どこまでが真実でどこからが嘘かは正直判断しづらい点もある」(元公安関係者)
余談だが数年前、実際に筆者も冤罪説を主張する弁護士のひとりに取材したことがある。その弁護士は、ある冊子に、「事件が発生する前から、Aの隣の家に警察関係者が住み、Aを監視てしていた」という主旨の文章を寄稿していた。しかし、弁護士は取材に対して、筆者にこう言った。
「そんなこと、書きましたかな。記憶にありません」
惚けてている様子ではなく、本当に忘れているとしか思えなかった。本稿が主張したいのは、冤罪説ではなく、この事件で放置されたままの疑問や謎があまりにも多いという事実である。…