政治そのほか速
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天皇、皇后両陛下が9日に訪問されるパラオ・ペリリュー島では、太平洋戦争で犠牲になった日本兵ら約1万人のうち、約2600人分の遺骨が今も見つかっていない。
「一日も早く、戻るべき故郷に帰してあげたい」と収集作業に協力してきた島民らは、両陛下の訪問が収集を加速させるきっかけになればと願う。
「激しい戦いだったことは、島の変わりようからも分かった」。島で民宿を営むマユミ・シノヅカさん(77)は、70年前の故郷の様子を振り返る。
日本人の父、パラオ人の母を持つ日系2世。1944年9月に島で戦闘が始まる前、パラオ本島に一家で疎開して難を逃れた。戦後に戻った故郷は、生い茂っていた木々が焼き尽くされ、サンゴ礁の白い地面がむき出しになっていた。
守備隊が島に張り巡らせ、2か月以上にわたって戦った壕(ごう)には、日本兵の亡きがらがそのままになっていた。
70年代に入ると、日本から慰霊や遺骨収集に訪れる人が増え、受け入れ先として民宿を始めた。壕の前で号泣し、宿舎でも涙が乾かない遺族らを見て、「私も日本人。だから悲しくなった」と深く同情した。
2012年12月に島を襲った大型の台風で、民宿と自宅が全壊した。それでも「遺族のために」と、民宿の再建を優先させた。「慰霊に訪れる人がいなくなるまで民宿は続ける」。シノヅカさんはそう決めている。
成田空港で8日、格安航空会社(LCC)専用の第3旅客ターミナルビルが開業した。
同空港のターミナルビル新設は22年4か月ぶり。LCC誘致による競争力アップを目指しており、当面、LCC5社が使用して国内外の計19都市を結ぶ。初年度の年間旅客数は約550万人を見込んでいる。
新ターミナルビルは地上4階、延べ床面積約6万6000平方メートル。LCC利用者が支払うサービス施設使用料を抑えるため、天井の配管をむき出しのままにするなど、簡素なつくりで建設コストを抑えた。床面は利用者の誘導のため、陸上競技のトラックのように色分けするなど、わかりやすい表示にもこだわった。
一方、同ビルは最寄り駅の第2ビル駅から約700メートル離れ、徒歩で約15分かかるため、利用者は余裕をみて到着する必要がある。成田国際空港会社では高齢者などに配慮し、ターミナル間を結ぶ無料シャトルバスを運行している。
病院と調剤薬局を同じ建物や敷地に併設できず、患者が病院外で薬を受け取る-。この医薬分業による「院内薬局」規制をめぐる議論が、政府の規制改革会議で始まった。昭和31年に導入され、国も推進を後押しした結果「分業率」は平成25年度に67%にまで伸びた。会議では患者の利便性に欠けるなどとする意見と、「分業」効果が正しく理解されていないとする意見が対立。規制改革会議の翁百合委員と、日本薬剤師会の森昌平副会長にそれぞれの主張の根拠を聞いた。(伊藤弘一郎、道丸摩耶)
■患者目線で「協働」を 規制改革会議委員・翁百合氏
--病院と薬局が分離されている現状に対する考えは
「現在の規制は『薬局の医療機関からの独立性の確保』が根拠になっている。だが、公道で病院と薬局を隔てるという物理的な遮断は必要だろうか。高齢化社会を迎え、これから足が不自由な患者や、車いすの患者が増加していく。私が車いすの父に付き添い病院に行ったとき、悪天候時に院外に薬を取りに行くのは大変だった。同じような経験をされている方は多いのではないか。患者の利便性、安全性の視点から物理的規制を緩和し、経営上の独立性を確保する工夫をすべきだ」
--「物理的規制」が一番の問題点か
「より本質的な問題は、患者がコストに見合うメリットを受けているのか、という点だ。同じ薬を受け取るにしても『院内処方』よりも、病院付近にある門前薬局で『院外処方』された薬の方が、患者が支払う額が高額になっていることは知られていない。国が医薬分業を推進するため、調剤基本料などを加算した結果、患者や保険の負担は上昇している。都市部では門前薬局が格段に増え、患者が薬局にアクセスしやすくなったかもしれないが、付加価値とコストを比較して薬局を選ぶ体制にはなっていない。改めて患者目線に立った政策的なレビュー(見直し)が必要だ」
--規制改革会議では、医薬分業が結果として医療費全体の押し上げにつながっている、との意見も出された
「以前は院内処方により、必要のない薬を出してもうける『薬漬け医療』により、無駄な支出につながっているとの指摘があった。また、院外処方ではジェネリック医薬品(後発薬)が薦められるため、薬剤費が減ることも期待された。医薬分業が進んだことで、どの程度の費用対効果があったのか、国は明確に示す必要がある。平成32年度の基礎的財政収支(プライマリーバランス)黒字化達成という政府目標も考慮すると、簡単に医療費は増やせない中で質の向上を考えないといけない」
--薬局・薬剤師に望むことは
「患者に丁寧に説明し、献身的な薬局がある一方、薬を調剤する際に薬剤服用歴(薬歴)を記載しないまま、診療報酬を繰り返し請求していた大手薬局チェーンの問題も発覚した。サービスにはばらつきがある。特にお年寄りは多くの薬を服用しており、飲み合わせや重複がないかの確認などに、薬剤師は高い専門性を発揮してほしい。院内・院外を問わず薬剤師と医師が連携して患者の安全性をチェックすることを期待している。医師と薬剤師が独立しつつも、コミュニケーションを取って医療の質を上げる『医薬協働』が求められる」
〈おきな・ゆり〉昭和35年、東京都生まれ。55歳。慶応大学大学院修士課程修了後、日本銀行に入行。平成4年に日本総研入所、26年に副理事長。同年から慶応大学特別招聘教授を兼任。規制改革会議委員。
■分業の意義、理解して 日本薬剤師会副会長・森昌平氏
--「医薬分業」のメリットは何か
「薬剤師が専門性を生かして医師の処方を確認することにより、薬を使った治療における安全確保と質の向上を目的としている。複数の医療機関にかかっても、一般用医薬品を購入するのも、ひとつの薬局、いわゆる『かかりつけ薬局・薬剤師』ですべての薬を受けとれれば、一元的に薬の管理ができる。また、薬剤師も何回も顔を合わせるうちに患者の生活や病歴、家族関係が分かる。例えば呼吸器疾患を持つ祖母と同居する患者がインフルエンザになれば、祖母への感染予防策を伝えるなど具体的な指導もできる。調剤した薬の情報提供に積極的に取り組み、自分の飲んでいる薬の名前や効能、副作用などがわかるようになったことも長い目で見た分業のメリットだ」
--分業のメリットは、あまり理解されていないのではないか
「国が分業を推進すると決めて40年になるが、まだ道半ばだ。薬剤師は薬局で、処方箋、薬歴、お薬手帳、処方内容について医師に問い合わせる疑義照会など、さまざまな確認作業をして安全性を確保しているが、調剤行為のほとんどを調剤室の中で行っているため、メリットが見えにくいのではないか。また、風邪などで一時的に1カ所の医療機関を利用する若年層には、かかりつけ薬局のメリットは理解しにくいかもしれない」
--規制改革会議は、院内の薬局開設を認めるべきだと主張している
「医薬分業を適切に機能させるには、薬局は医療機関から『経済的』『構造的』『機能的』に独立することが不可欠だ。また、院内の薬局はかかりつけ薬局になれるとは思えない。高齢化に伴い、国は住み慣れた地域で自分らしい暮らしを続けられる地域包括ケアシステムの構築を進めている。自宅を起点に利便性を高めることが大事だ。高熱や高齢の患者が医療機関から薬局に行くのが大変なときには、家族が近所のかかりつけ薬局に取りに行く、薬剤師が届けるなど別の方法を考えることが患者のためだと思う」
--医薬分業では、薬を受け取る際の調剤費が院内処方に比べて高い。それに見合ったサービスになっているか
「分業の意義やメリットを患者に理解してもらうことが必要だ。車へのエアバッグの装着が進んでいるが、安全性の向上に役立つと理解していれば、エアバッグを外して車の価格を下げてほしいと言う人はいないだろう。薬局もそれと同じ。疑義照会は処方箋100枚中3枚だが、97枚に何もないからやらなくていいのでなく、100枚すべて確認することで安全が保たれる。私たちの仕事は医療安全の確保で、それはマイナスをゼロにすること。患者が求めるサービスと、医療提供者としてやらなければならないサービスは違うこともある」
〈もり・まさひら〉昭和35年、栃木県生まれ、54歳。帝京大薬学部卒業後、水野薬局入社。平成3年に「かみや調剤薬局(現かみや薬局)」開局。栃木県薬剤師会副会長を経て26年6月から日本薬剤師会副会長。
翁長雄志沖縄県知事が菅義偉官房長官との初会談で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する沖縄の民意を伝えた5日、会談が行われた那覇市のホテル周辺などには反対派の市民が集まり、「私たちの声を真剣に聴け」と叫びながら、怒りの拳を突き上げた。
「辺野古移設を撤回せよ。無視は許さないぞ」。両氏の会談が始まる前の午前9時ごろ、ホテル周辺には野党の国会議員や県議、市民ら約300人が集結した。翁長氏を乗せた車が目の前を通ると「頑張れ、頑張れ、翁長」と大歓声が起き、翁長氏も車の窓を開け、手を挙げて応じた。
5日午後1時40分ごろ、北海道旭川市豊岡4条の会社員波多野貢司さん(40)が、自宅の駐車場から乗用車を発進させた際、次女の葵ちゃん(1)をひいた。葵ちゃんは近くの病院に搬送されたが、頭を強く打っており、脳挫傷で死亡した。
道警旭川東署によると、波多野さんは家族4人で外出するところだった。自宅敷地内の駐車場から車を出そうとした際、前にいた葵ちゃんに気付かず、誤ってひいたとみられる。同署が当時の詳しい状況を調べている。