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◇介護記録を電子出版した 川村 啓子さん 60
「壊れていく…」。この言葉でしか母を表現する言葉は見つからない。
2011年4月。85歳だった母静江さんは、おかしな言動が目立つようになり、手当たり次第に物を投げ、「殺してやる」と叫んだ。認知症を疑ったが、診断の結果、持病だった生活習慣病の影響らしかった。
以前から「介護は在宅で」と決めていた。彦根市佐和町の自宅で母が寝付いた後、ありのまま記録をつけた。
母はほとんど飲食ができず、おかゆでも米3粒ほどしか口にしなかった。「このままならあと2、3週間の命」。地元の医師、松木明さん(67)にそう告げられた。幻覚も現れた。
5月3日、夜12時頃から覚醒がまた始まった。「早よしてえな」と大声でうなり続けた。こうして人間は死んでいくのか。寝られない一夜。私自身も壊れていきそうだ。
◇
「介護は大きなゴールを望んではいけないマラソンです。あまり頑張らないで、時々息抜きをして続けて下さいね」。知人で地域医療に通じた北海道の医師、村上智彦さん(54)に再々、メールで励まされた。
雅楽が好きな母の枕元で、「琵琶湖周航の歌」を竜笛で吹いた。歌が返ってきた。眠らせるときは、赤ちゃんに接するように肩を軽くたたいた。少しずつ落ち着いていった。
6月になり、食べるおかゆの量が指の先くらいに増え、検査の結果も好転した。
松木さんの往診は続き、母はとびきりの笑顔で迎えた。「おしりみせるの恥ずかしい…」。母はまた乙女心になった。
翌12年4月。「レ・ド・レ・ミ・ソ・ミ・レー」と、君が代を音階で口ずさんだ。触れたこともなかった家のピアノで教えると、「ほたるこい」「ねこふんじゃった」など、13曲も弾けるようになった。
母の頭はまったく普通になっていった。
これが在宅医療や在宅介護なんだ。家で母をみてよかった。家には力があるんだと思った。
11月。母は県の「あったか介護ありがとうメッセージ募集事業」で優秀賞を受けた。
〈いつも、オムツかえてもらっている時、心の中で「ありがとう、ありがとう。」とゆうてるの、あんたには伝わったらへんやろう。〉
「涙とともにありがとう」というタイトルで、ひたすら娘への感謝がつづられていた。
そして、13年1月30日。87歳の母は「えらいから寝かせて」と言った。
まだぬくもりがある母の体を両手でだきしめた。「ずっとそばにいてて」。それが母の最期の言葉だった。
2年弱の記録は400字詰め原稿用紙約200枚になり、今年2月に電子出版した。
幸せな最期を迎えるにはどうすればいいか――読む人に考えてもらえたら、との願いを込めて。(布施勇如)
◇メモ
彦根市生まれ。ピアノや書道の教室を開く傍ら、2010年に「彦根市の地域医療を守る会」を作り、代表を務める。市民向けの勉強会を通じ、かかりつけ医を持つことや予防医療の重要性などを訴えている。
電子書籍「母の恋人 松木先生 私の恋人 村上先生」(300円)は、アマゾンのキンドルストアで購入できる。