政治そのほか速
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東日本大震災からまもなく4年。復興を進める被災地では労働力の不足が深刻だ。
そんな中、これまでのキャリアを役立てたいと、首都圏などから現地に入り、長期的に働く女性が目立っている。
「さあ、食事ですよ。体、起こしましょうか」
福島県南相馬市にある大町病院の療養病棟で、看護師の宮下優子さん(33)の明るい声が響いた。慢性疾患などを抱える高齢者らに手際よく昼食を運んで歩く。「福島は両親と何度も旅した思い出の地。復興のために少しでも力になりたい」と、昨年3月から臨時職員として働き始めた。
宮下さんは東京在住で、修学旅行などに付き添う看護師「ツアーナース」が本業だ。その合間を縫って福島に通い、同病院に泊まり込んで月5日ほど働く。入院患者の食事や入浴の介助などを担う。「無理のない形で、細く長く働き続けたい」と考えている。
同病院では、宮下さんと同様の働き方をする女性看護師が他に4人いる。看護部長の藤原珠世さんは「原発事故以降、看護師を集めるのがさらに難しくなっている。外から来てもらえるのはありがたい」と話す。
こうした働き方が広がったきっかけは、福島県や同県病院協会が看護師や看護学生向けに実施する「福島県浜通り病院見学バスツアー」だ。浜通り地方の看護体制を強化しようと企画され、昨年度は参加者44人中、宮下さんを含む11人が同県内の病院に就職した。
宮城県南三陸町観光協会に勤務する中村未來(みく)さん(27)は、東京からの移住組だ。「被災地で働きながら町づくりに関わりたい」と、同町の「南三陸地区復興応援隊」に応募。12年10月からフルタイムで働く。
地域資源を活用した交流事業の拡大を担当、これまでに農家や漁家計4軒を簡易宿所として開業させた。設計事務所で働いた経験を生かして、建物の測量や図面起こしのほか、煩雑な手続きを一手に請け負う。
「企画から営業、PRまで一貫して任せてもらえる」とやりがいを実感する。「地元の人とすぐうち解けられる明るさが彼女の持ち味」(同協会職員)と、同僚の評価も高い。
来年3月で任期満了となるが、その後も町に残るつもり。奈良県在住の交際相手を呼び寄せて、今春結婚する。
「町には手つかずの資源が多く、それを元に新しい事業やサービスを作り出すチャンスがたくさんある」と中村さん。耕作放棄地で藍を育てて特産品にしたい、民宿を開きたいなどと、アイデアは尽きない。「都会で疲れた人を癒やすパワーがこの町にはある。被災地の側面だけでなく、その魅力も発信し続けたい」(板東玲子)
被災地で働く手段として、復興支援員が注目されている。被災者の見守りや地域おこしの支援などが主な活動内容で、募集や採用は都道府県、市町村ごとに異なる。任期は主に1~5年だ。
総務省によると、2011年度は宮城県の8人のみだったが、岩手、福島両県にも広がり、13年度には181人に。各県によると、支援員は男女がほぼ半々という。
支援員の求人などを扱う「ワークフォー東北」プロジェクト事務局の畔柳(くろやなぎ)理恵さんは、「震災直後は復旧作業が主だったが、最近は町づくりの強化が新たな課題になってきている」と指摘する。
地域に腰を据えて集客や販路拡大、コミュニティーの再生などに貢献できる人材が被災地には少なく、「女性がビジネスで培ってきた能力を生かせる場が広がってきた。特にコミュニケーション力のある女性へのニーズは高い」と畔柳さんは話す。
■被災地での仕事、有償ボランティア情報
・「ワークフォー東北」(http://www.work-for-tohoku.org/) 日本財団が運営。自治体や第3セクターなどの求人情報を扱う。
・「みちのく仕事」(http://michinokushigoto.jp/) NPO法人エティックが運営。被災地復興に関わるNPO法人などの仕事情報をホームページ上で掲載する。
「タクスズキ」さんという方がいらっしゃいます。89年生まれ、前職はプログラマーをされていました。現職は「ブロガー」。会社組織などはもちろん、何にも所属せず、個人で運営するサイト「らふらく^^」で生計をたてていらっしゃいます。
一昔前までは考えられなかった生活スタイルの現実をお聞きします。
画像はイメージです
やりたいことはできています。
――職業と仕事内容を教えてください
日常で感じたことをブログに書いて生活しています。
基本的には広告を出している広告主からお金を得ている形になっていて、加えてアフィリエイトで契約している企業からも成果報酬に応じてお金をもらっています。
――記事のジャンルは多岐にわたりますが「働くこと」をテーマにした記事が多いように感じました。ブログの方向性は当初から同様でしたか?
当初は、会社員時代の悩みをただ綴っていただけだったのですが、「仕事で悩んでいる人が楽しい気分になれない」と知り合いからアドバイスをしてもらって、それから読み手がハッピーになれるような書き方にして、もっと読みたいと思ってもらいやすくするようにしました。
また、そちらの方が多くの方が読みやすいだろうと思いました。
――僕も会社員向けブログをやっていますが、つい暗くなりがちで、そういうブログって多いですよね……。でも読み手が求めるものってそうじゃないんですね。ところで、いま現在、やりたいことはできていますか?
できています。
ブロガーになるまで
――プログラマーというと、苛酷なお仕事というイメージがあるのですが、そういった部分は退職に影響しましたか?
確かに嫌で辞めたという部分がなかったわけではありません。
自分自身がプログラミングが得意ではなかったこともあり、仕事が面白くいと感じられていませんでした。業界柄、勤務時間が長かったこともあり、もう少し勤務時間が短い仕事はないかと思っていました。
――入社からどれくらいで退職されたのでしょうか
1年と2カ月です。
――なぜ退職したのですか
嫌で辞めた部分もあると答えましたが、退職するときはほとんどポジティブな理由から決められました。
それは、ブログを書くことが好きすぎて、1本でやってみたかったからです。
いま現在のことでいえば、好きなことがやれているし、新たな人のつながりができたので、退職して良かったと思っています。
――「辞めよう」と決意したきっかけはあったのでしょうか
あります。
ブログを運営するなかで、ある時点で生活していけるくらいの収入を得たのがきっかけです。
――そもそもブログをはじめようと思ったきっかけはあったのでしょうか
「NAVERまとめ」をやっていて、作成したコンテンツを多くの人に見てもらったこと、これがきっかけですね
IT企業のイケてる新卒採用ページをまとめました。それがFacebookを中心に拡散していき、多くの方に読んでいただくことができました。
それから「NAVERまとめ」よりも、もっと自由なフォーマットで表現したいと思ったということもあります。
――プログラマーとしてのご経験はやはりブロガーとして生活する上で役立っていますか
ブログのデザインをいじる時に活きています。
HTMLやPHP(プログラミングの言語)の知識が必要なので、そこを勉強せずに取り組めるのは大きいです。
ブロガーとして生きる
――ブロガーとして生活している方が最近増えていると思うのですが、ブロガーになる上で、必要なこと、やっておいたほうがいいことはありますか
貯金です。
サラリーマンみたいに決まった額のお金が毎月手に入るわけでなく、揺らぎがあります。収入の面で不安になってしまうので、それを押さえるためにも数百万円単位の貯金をしておくとよいと思います。
――やはり厳しい世界なんですね……。スキルや方法論的な部分では、他にありますか
スキルだと、インターネットの世界で使えるライティング力です。読み手をつっこませる要素を載せられるか、は大切です。
あとはソーシャルメディア上での影響力も大切なので、例えばツイッターではフォロワーを増やすなどができればよいと思います。
――将来に不安は感じませんか
感じています。ですので、不安を感じないように対策していきます。
もう1つブログを作ることも検討していますし、加えて、投資で将来の資産を築く事も考えています。
――逆にブロガーになるうえで、注意したほうがいいことはありますか
ずっと継続できるようにドーピングはしないようにしましょう。
――「ドーピング」は用語的なものでしょうか
用語というか「楽をせずに堅実に積み上げていきましょう」という意味です。悪質なバイラルメディアみたいに人のものを盗んでPVを稼ぐ事を意味しています。
――じっくりと積み上げて実力をつけていくことが大切なんですね
※画像は本文とは関係ありません
武野光
平成2年生まれ。「TOEIC未受験」「サークル未所属」「友達の数が片手未満」といった状況から就職活動に挑み、その体験から得た教訓をつづったブログ『無能の就活。』が大きな反響に。現在はサラリーマンと兼業で作家活動を行う。著書に『凡人内定戦略』『凡人面接戦略』(中経出版)、『就活あるある ~内定する人しない人~』(主婦と生活社)など。マイナビ2016でも、マンガ『キミ! さいよー』(石原まこちん/小学館)内で、一言コラム平成ベビーの就活用語辞典掲載
鍼灸師・柔道整復師をご存じだろうか。前者はその名のとおり「はり」「きゅう」を用いて、人間が持っている治癒能力・防御能力を高め、疾病の治療を行うもの。後者は「手」などにより、骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷(肉離れ)などの治療を行うものだ。ともに問診・触診などにより、患者の状態を正確に把握して治療方法を組み立てなければならないため、高度な専門知識が必要。そのため、国家資格に認定されている。
新宿鍼灸柔整専門学校は、そんな鍼灸師や柔道整復師を育て、多くの生徒を独立開業に導いている。また、同校には鍼灸院・接骨院が併設されており、年間4,000~5,000人の患者が訪れ、そこで臨床実習を行うことで治療のノウハウが学べるというメリットがある。さらに、鍼灸師や柔道整復師の資格は専門実践教育訓練給付金制度に認定され、講座を修了した人にはハローワークより最大144万円が給付されるようになった。ここでは、鍼灸師や柔道整復師を目指すため、同校を選んだ方々にお話をうかがった。
会社員を続けながら終業後の診療業務を行っています
伊藤明希子さん。ヒューマンサイエンス鍼灸学科8期生(2013年度卒業)
卒後も会社員を続けながら、終業後や休日に診療活動を行ったり、週1回の研修を受けたりしている伊藤明希子さん。鍼灸師を目指したきっかけをこう語る。「ある日、仕事で1日がかりの長い会議をしていた時のこと、あまりにも長時間座りっぱなしだったせいか、ぎっくり腰というかぎっくり背中になり、上半身が固まったまま動かなくなってしまいました。なんとなく、行くべきところは整形外科ではないような気がして、翌日、家族が通ったことのある鍼灸院に行ったところ、まったく動かなかった上半身があっという間に動くようになり、鍼灸の効果に感動! それから何かにつけ鍼灸院に通うようになりましたが、人の健康に貢献できる鍼灸の魅力にはまってしまい、勉強したくなりました」。
同校を選んだ理由として「臨床力重点コースと医科学重点コースという選択があったこと」「校舎が広くて快適」「学校見学に対応してくださった先生方や教務課の方々が親切だった」などの理由を挙げた。
また「私達の目の前には医療費の抑制や高齢化というさまざまな社会問題が横たわっていますが、その中で街の健康相談役として鍼灸師が活躍する場は増えるのではないでしょうか。つまり、鍼灸師は患者さんと現代医療の架け橋であり、皆さんの笑顔をつくることができる素敵な仕事だと思います」と、鍼灸師が社会で果たすべき役割を語ってくれた。
独立開業して接骨院を営んでいます
谷口昌彦さん。ヒューマンサイエンス柔道整復学科2期生(2007年度卒業)
2014年8月に独立し、今年1月に埼玉県・浦和に接骨院を開業した谷口昌彦さんは、柔道整復師を目指したきっかけについて、「柔道整復師を目指した理由は、小学生の頃からケガをしたら接骨院に通っており、その時の先生がよくしてくれ自分も接骨院の先生になりケガをみたいと思ったのがきっかけです」と語ってくれた。
また、同校を選んだことについては「見学に行った際まだ新しい学校なのでキレイで設備がすごく整っていました。あと、違う学校に見学に行った時よりも先生が丁寧にアットホームな感じで接してくれ、好印象を持ちました」とのこと。
さらに、これから鍼灸師・柔道整復師を目指す方々へのメッセージとして「これからは多種多様な接骨院や治療院が増えていくと思います。その中で自分が何をしたいか、どういう患者さんをみたいか、どういう治療をしたいかなどをしっかりと見極めることが大切だと思います」と語ってくれた。
セミナー講師やパーソナルトレーナーなどの業務にも携わります
北村英志さん。ヒューマンサイエンス鍼灸学科2期生(2007年度卒業)
北村英志さんは、整骨院・自費治療院・トレーナー派遣を中核業務としたグループ会社で働いているという。現場の臨床業務のほか、セミナー講師・パーソナルトレーナーなど、業務は多岐にわたるそうだ。そんな北村さんが鍼灸師を目指したきっかけは「学生時代にサッカーをしていて痛めた時によく整骨院に通っていました。当時資格の知識もなく漠然と身体に関わる仕事をしたいなと考えていましたが就職はスポーツに関わりたく、スポーツ用品の小売業大手に就職しました。その後スポーツに関わるならやっぱりトレーナーになりたいと考えて改めて身体に関わる資格について調べた結果、鍼灸師を目指す事にしました」ということだそう。
同校を選んだ主な理由は「トレーナーとしてはエビデンスに基づいた西洋医学的な考えで鍼灸を学びたいと思っていました。何校か見学に行きましたが施設・教育カリキュラムをみて一番理想に近かったので決めました」とのこと。
これから鍼灸師・柔道整復師を目指す方々に対し、「鍼灸師は患者に対して施術によって痛みを取ったり、症状を緩和したりする事で直接感謝される素晴らしい仕事だと思います。相手の気持ちに立てる人間力の高い鍼灸師を目指して下さい!」とエールを送ってくれた。
スポーツトレーナーになる夢を叶えたい
村井志帆さん。ヒューマンサイエンス鍼灸学科1年
最後に在校生の声をお届けしよう。ヒューマンサイエンス鍼灸学科1年に在籍する村井志帆さんは、「私にはスポーツトレーナーになりたいという夢があります。私は今まで、鍼灸は痛みを取り除き疲労感を軽減させるもの、といった程度の知識しかありませんでした。しかし、学校で鍼灸の勉強を始めてから、鍼灸にはこんな力があるのか、と驚くほどさまざまな効果があることを知りました。在学中にできる限り知識を吸収し、将来は鍼灸の力を最大限発揮して選手をさまざまな面からサポートできるトレーナーになりたいです」と、鍼灸師になるために同校に入学した理由を語ってくれた。
卒業してからも臨床経験を重ねられたり、独立開業に向けてアドバイスが得られたりと、今後の進路についてのサポートも新宿鍼灸柔整専門学校では行っている。国家資格を得て確かなキャリアアップを目指すのなら、選択肢のひとつといえるだろう。
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(毎週水曜更新予定)
小山健
1984年奈良県生まれ。三重県育ちの現在大阪市在住、関西を中心にイラストレーター/マンガ家として活動中。ブログを書籍化した『手足をのばしてパタパタする』(エンターブレイン/1,080円)が好評発売中。
リコール問題に揺れていたホンダの社長が電撃交代となりました。唐突だっただけに、社長交代の理由について様々な憶測が飛び交っています。ホンダそのものの今後の業績も気になりますが、同社の目玉プロジェクトのひとつであるホンダジェットの行方についても心配する声が上がっているようです。
[写真]アメリカでテストフライトするホンダジェット(Honda Motor/ロイター/アフロ)
先月23日、ホンダは緊急会見を開き、同社の伊東孝紳社長が退任し、常務の八郷隆弘氏が新しく社長に就任する人事を発表しました。伊東氏は相談役に退きますから、名目上は第一線から退くことになります。
ホンダは昨年、新型「フィットハイブリッド」のリコールやタカタ製エアバック問題など、品質面での課題が大きくクローズアップされました。今でこそホンダはファミリー向けの自動車というイメージが強くなっていますが、もともとは技術第一という会社ですから、品質問題が浮上したことは大きなマイナスといってよいでしょう。
業績もいまひとつです。2014年3月期の決算は、増収増益でしたが、売上高は約12兆円とトヨタの半分以下、利益率もトヨタの6割程度と見劣りがします。2015年3月期の決算についても減益が予想されています。
伊東社長は若い人材を登用する意義を強調しており、実際、新社長の八郷氏は取締役の経験を経ずに、社長に抜擢されました。これまでホンダは、技術第一主義という方針から、経営トップは原則として、エンジン開発子会社であるホンダ技術研究所の社長を経験することが不文律とされてきました。八郷氏はその経験がなく、ある意味では、従来の殻を破った人事ともいえます。一方、八郷氏は、伊東氏と同様、車体部門の経験が長く、いってみれば伊東氏の子飼いと解釈することもできます。伊東氏の影響力を完全に排除できないと、改革が中途半端になってしまうかもしれません。
またホンダが社運をかける新プロジェクト「ホンダジェット」の事業がどうなるのかについても心配する声が上がっているようです。同社は、長年の悲願であった航空機事業への参入を果たしており、2015年から本格的な量産を開始します。
米国ではビジネスジェットの需要が爆発的に伸びており、ここで一定のシェアを獲得できれば、ホンダのイメージも大きく変わってくるはずです。しかし、同社が参入している小型ビジネスジェットの分野には、米セスナ社とブラジルのエンブラエル社という強力なライバルが存在します。新規参入のホンダがシェアを獲得するのはそう容易ではありません。受注は今のところ順調といわれていますが、この事業はそれほど高収益が得られるわけではなく、初期投資の回収には長い時間がかかるでしょう。
つまり、ホンダが航空機の分野で実績を上げていくためには、じっくりと腰を据えて事業に取り組む必要があるわけです。本業である自動車の業績を回復させることが、何よりも重要ということになります。
(The Capital Tribune Japan)
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