政治そのほか速
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貴島誠一郎[TBSテレビ制作局担当局長/ドラマプロデューサー]
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「敗軍の将、兵を語らず」と言いますが、岩井三四二さんの新刊「三成の不思議なる条々」(光文社)は、関ヶ原の合戦で西軍を率いた石田三成の挙兵の真実にせまる、ノンフィクション風の歴史小説。
関ヶ原から30年。江戸の商人がさる人からの依頼で、天下分け目の合戦で敵の東軍武将家臣、三成の側近、若き日の三成を知る尼など、それぞれの立場で三成と因縁のあった生き残りの関係者に、
・20万石の石田三成がなぜ西軍の大将たりえたのか?
・三成の関ヶ原には勝算はあったのか?
・天下の道理は三成と家康のいずれにあったのか?
を尋ね歩きがら、関ヶ原開戦の裏事情と語ることのなかった敗軍の将・石田三成の周囲から「兵を語らせ」三成の素顔にせまります。
この小説の見立てをサラリーマン社会に例えると、豊臣秀吉専務のもと、バリバリの敏腕営業マンタイプの福島正則や加藤清正とは違って、色白の小男・三成は営業(=戦場)経験は少なかったが、経理(=算盤)とコンプライアンス(=道理)に優れ、非現場の企画畑で出世街道を歩み、清須会議という信長亡きあとの取締役会で社長に選出された秀吉から、三成は専務に抜擢。秀吉直系の家臣ではない大大名は五大老という副社長に就任・・・といったところでしょうか。
しかし、社長に忠実でエリートコースを歩む人物にありがちな、現場の空気が読めない官僚タイプだったので、極寒の朝鮮出兵で苦労した福島正則ら部長クラスの豊臣家臣七人衆から、女より怖いとされる男の嫉妬から、「秀吉社長へのゴマスリだけで出世しやがって!」と、営業畑の筆頭副社長・徳川家康の派閥への寝返りを許してしまう。
佐和山城の蟄居を経て、秀吉の死後、幼き若社長・秀頼を毛利輝元副社長に預け、元専務の三成は豊臣政権転覆を目論む家康副社長に対し、後に「三成の条々」と呼ばれる豊臣政権の正統性(道理)と家康追放のお触れ書を秀頼社長名で出し、関ヶ原の合戦に突入します。
関ヶ原では、家康が調略した小早川秀秋の謀叛で東軍の勝利に終わりますが、仮に西軍が勝利していたとしても、幼き秀頼社長・三成専務体制では政権は持たなかったと想像されます。三成が西軍総大将に仰いだ安芸・毛利家や、加賀・前田家は世代交代の最中で家督が安定せず、秀吉によって会津に移封された上杉景勝は伊達政宗と対峙して消耗、家康以外の副社長は台所事情が悪化していました。…