政治そのほか速
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東日本大震災で被災し、関西に避難して暮らす人たちにも、4年の月日が流れた。避難生活を続ける被災者らは、慣れない土地で肩を寄せ合って生きる。そんな暮らしを支えていこうとする人たちもいる。ひとつの節目に「やっと自分の足で歩き出した感覚がしている」と希望を話す人。「希望が持てない。震災がなければと思う」と立ちすくむ人。3月11日という悲しみの先に、それぞれの思いが交錯する。(中井美樹)
「やっと笑えるようになってきた。4年もかかったんですね」
約40人が参加し、大阪市内で10日開かれた避難者の交流会。仙台市で被災し、妻と堺市北区の避難者向けの公営住宅で暮らす松井浩さん(56)はそうほほ笑んだ。フリーランスのコンピューターエンジニアをしながら、妻と営んでいたカフェは震災で半壊。友人を頼って大阪に避難した。
大阪で仕事を探すことにし、被災者対象の緊急雇用事業で職を得たが責任ある仕事は任せてもらえない。「期間限定なので当然だと思う一方でつらかった」
地に足がつかない生活は「茫然(ぼうぜん)自失だった」というが、一昨年の秋、知り合いに頼まれてカフェでの経験を生かして料理を作り、喜んでもらえたことが前を向くきっかけになった。
大阪府箕面市内のレンタルスペースで月に10日ほど「食堂」を営業する。飲食店のオープンを目指した物件探しも最近始めた。「やっと自分の足で歩き出した感覚がしている」と話す。
一方で、月日の流れとともに不安を募らせている人もいる。
「これからどうしたらいいのか。希望が持てない」。福島県富岡町から京都府宇治市に避難している佐々木宏明さん(35)は声を落とした。震災が起きたのは、国の職業訓練事業でパソコンを学んでいたときで、4月からの就職も決まっていた。
避難後は、宇治市の臨時職員として働いたが今は無職だ。東京電力が避難を余儀なくされた被災者に支払っている賠償金が、生活の支えになってしまっている。「はじめは頑張って生きていこうと思っていたが、今は前向きな気持ちがわいてこない。震災がなければと思うこともある」
中学生の長女と2人で、京都府内に避難している40代の女性は、現在暮らしている避難者向け公営住宅の入居期限が1年後に迫る。
今は家賃は必要ないが、期限が切れるとたちまち家計が苦しくなる。就職先を探そうと、20社以上に履歴書を送ったが面接にすら至らない。「正社員で働きたいのですが、年齢的に厳しいのかも」。焦りは募る。
交流会を主催した「東日本大震災県外避難者西日本連絡会(まるっと西日本)」(大阪)の代表世話人、古部真由美さん(42)は避難者の中で、生活再建が進む人と立ち止まってしまう人の二極化を懸念し、こう話した。
「県外避難者は周囲に相談する人も少なく孤立しがち。そういう避難者を探して支援につなげる活動が、これから重要になってくる」