政治そのほか速
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バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナやコソボなどイスラム教徒が多い国で過激思想の影響を受けシリア、イラクに戦闘員として
渡航するケースが後を絶たない。若者を戦場に送らないよう訴えるイスラム指導者が繰り返し襲われる事件も起き、過激思想の広がりに
懸念が高まっている。
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▽違法ネットワーク
「シリアには2回行った」。コソボ南部カチャニク近くの山あいの貧しい村で農業を営む男(37)が身元を明かさないことを条件に口を
開いた。家族を残し、内戦のシリアでアサド政権の攻撃にさらされる「イスラム教スンニ派の仲間を守る『聖戦』に参加した」。
バルカン諸国のイスラム教徒は穏健派が多かった。しかし社会主義政権の崩壊や1990年代の旧ユーゴスラビアの民族紛争を機に、
中東からイスラム戦闘員が流入して原理主義が拡大。過激思想を説くイスラム指導者も現れた。
背景には貧困問題もある。ボスニア、コソボとも失業率は4割、特に若者は6割と高い。過激派が勧誘するのは「貧しく、十分な教育を
受けられず、仕事もなく、失望した若者」(ボスニアのイスラム協会幹部)だ。
コソボの男が住む地域はイスラム過激派の拠点で、シリアで戦った住民も多い。男はアラブ諸国の寄付で建てられた村のモスクで
戦闘員を勧誘する違法ネットワークに接触、トルコ経由でシリアに入った。
▽コソボ人部隊
最初は2012年5月から半年間。「コソボ人部隊」に所属し、カラシニコフ銃を担ぎ、アサド政権が空爆の拠点とする空港の奪取を
目指して戦った。2回目は14年3~9月。北部アレッポ近郊で戦った。
コソボ人部隊の指揮官だったヤブドゥリム・ムハジリ容疑者=国際手配中=は現在、過激派組織「イスラム国」に加わっている。
「外国人部隊」の主力はリビア人、チェチェン人で、マケドニアやアルバニアから来た戦闘員もいた。
欧州メディアによると、コソボから約300人、ボスニアから約200人が戦闘員としてシリアやイラクに渡った。
男は再びシリア行きを考えている。トウモロコシ栽培の稼ぎは年に約2500ユーロ(約32万円)にすぎず、妻と15歳と12歳の息子を
抱える生活は苦しい。しかし男は「仲間を助けるために命をささげることは名誉なことだ」とだけ話し、シリアで戦闘参加の報酬を受けた
のではないかとの見方を否定する。
▽「聖戦」それぞれ
http://img.47news.jp/47topics/images/TR2015040900554.jpg
「私たちはボスニア内戦の惨禍を味わった。戦争を繰り返してはならない」。ボスニア北西部トゥルノビ村のイスラム指導者、セルベディン・
ベガノビッチ氏(43)は自宅で静かに語った。
ベガノビッチ氏は昨年末から今年2月までの間に4回も襲われ、ナイフで刺されるなどして負傷した。
約2年前、知り合いの19歳の若者がシリアに行き戦闘で死亡。ベガノビッチ氏は勧誘した指導者に「シリアの戦闘が聖戦なら、なぜ自分が
行かず、若者を送るのか」と公開書簡で問いかけたが、それ以降、イスラム過激派とみられる勢力に付け狙われている。
「私たちの聖戦とは、雇用創出や年金生活者の支援の闘いだ」とベガノビッチ氏。社会の過激化防止には「イスラム教が説く寛容の心を
伝える教育が最も大切」と訴えている。(トゥルノビ共同=宇田川謙)
ソース(共同通信) http://www.47news.jp/47topics/e/264196.php