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列車ダイヤを楽しもう (35) JR日高本線、災害で不通に

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列車ダイヤを楽しもう (35) JR日高本線、災害で不通に

 列車ダイヤを楽しもう (35) JR日高本線、災害で不通に

 

 いまは北陸新幹線や上野東京ラインなど、ダイヤ改正の話題で持ちきりだけど、その一方で心配な路線がある。JR北海道の日高本線だ。2015年1月の高波被害で線路脇の護岸設備が損傷、線路の盛り土が流出したため、大半の区間が不通となっている。

 車窓からサラブレッドも見える日高本線(写真はイメージ)

 現在は苫小牧~鵡川間のみ列車を運行し、鵡川~様似間はバス代行運転中だ。報道によると、復旧には数十億円の費用がかかると報じられた。JR北海道の中でも乗客数が少ない赤字路線だけに、JR北海道は自力での復旧は困難とし、地元の支援を求めている。

 日高本線は、「本線」とは名ばかりの閑散路線だ。しかし、かつては支線を持ち、札幌駅発着の急行「えりも」が3往復も走るなど、本線の体裁を整えていた。沿線にはサラブレッドを生育する牧場もあり、鉄道ファンだけではなく、競馬ファンにも親しまれている路線である。今回は復旧への願いも込めて、日高本線の現在のダイヤと過去のダイヤを比較してみよう。

 日高本線の列車ダイヤ(2014年12月)

 被災前の日高本線は普通列車のみ。最も運行本数の多い区間は苫小牧駅と鵡川駅の間だ。苫小牧駅は室蘭本線の駅でもある。苫小牧市は人口約17万人の都市で、むかわ町は約8,000人。この区間の通勤通学と生活需要が多いようだ。運行間隔は時間帯によって異なり、区間列車のおかげで朝夕は1時間未満の時もある。終点の様似駅へ行こうとすると、日中は約4時間も列車がない。

 静内駅で停車時間の長い列車もある。静内駅を境に生活圏が分かれるのかもしれない。終点の様似駅から上り列車は1日7本しかない。日高本線の全区間を乗り通すと3時間以上かかる。ローカル線としては距離が長いから、列車の運行が少なくても2~3回のすれ違いが発生する。列車の線を見ると、鵡川駅、日高門別駅、静内駅、本桐駅ですれ違いが行われている。

 始発列車は苫小牧駅、静内駅、様似駅から発車する。これらの駅には運転士の待機設備もあることだろう。赤字ローカル線だから、費用を削減するために苫小牧駅以外は無人駅として、起点駅から一番列車を出し、終点で折り返して帰りの始発列車にしたい。しかし、日高本線は距離が長すぎる。各駅の朝の便を確保するために、これらの駅の設備は必要だろう。

 運行間隔が空いているとはいえ、全区間直通する列車が5本あり、区間運転も設定されている。地方の人々にとって、普段の足はクルマ。列車は遠くへ行くときの特別な乗り物だ。このくらいの運行本数でも良いかもしれない。

 この日高本線には、かつて急行が3往復も走った時期がある。1978(昭和53)年10月。いわゆる「ゴオ・サン・トオダイヤ改正」の時刻表を見てみよう。

 日高本線の列車ダイヤ(1978年10月)

 青線は急行「えりも」だ。札幌駅を発着する急行列車で、この当時は3往復あった。2往復が苫小牧~様似間を急行運転している。「えりも2号」は静内発札幌行、「えりも5号」は札幌発静内行だけど、実際は静内~様似間も普通列車として直通している。日高本線内の追い越しはなし。下り急行を追いかけるように普通列車があり、上り急行の露払いをするように普通列車が走る。急行列車が停まらない駅の利用客を考慮したと思われる。

 苫小牧駅の次の急行停車駅、鵡川駅から富内線が分岐していた。富内線は鵡川~日高町間を結ぶ82.5kmの路線だった。日高本線は当初は「日高線」だったけれど、富内線という支線が開業したので「日高本線」になった。富内線の列車の一部は日高本線に乗り入れ、苫小牧駅を発着している。表の苫小牧~鵡川間の区間列車も富内線直通列車だ。他にも日高本線の一部列車が鵡川駅で分割し、富内線に乗り入れている。鵡川駅で停車時間が長い列車は、分割または連結作業を行っている。

 2014年と1978年を比べると、列車の運行本数はほぼ同じ。ただし、2014年のほうは急行列車がなく、すべて普通列車だ。札幌直通列車がないことは残念だけど、運行間隔が調整されている。日高本線沿線から苫小牧へ向かう人々にとっては、2014年のほうが便利そうだ。ただし、1978年10月の交通公社時刻表は国鉄バスの便も合わせて記載されていた。列車とバスを組み合わせて、利用者の便宜を図っていたようだ。

 さらに過去のダイヤを見てみよう。1964(昭和39)年10月改正。東海道新幹線が開通した当時の時刻表をダイヤにしてみた。

 日高本線の列車ダイヤ(1978年10月)

 青い線の列車が2往復ある。これは準急「えりも」「日高」だ。当時は同じ区間の優等列車でも「列車名+●号」とせず、別の名前を付けていた。きっぷの発行間違いや乗り間違いを防ぐためだと思われるけれど、東海道新幹線開業で「ひかり●号」「こだま●号」という列車名が使われ、効果的だったことから、やがて在来線も「列車名+●号」が採用されるようになった。準急「えりも」「日高」は後に統合されて急行「えりも」となり、1往復が増発されたというわけだ。

 普通列車は原則として4時間おき。朝と夕方、乗客の多い区間に増発されている。静内駅からの始発列車が4時台となっていて、苫小牧駅に8時すぎに着く。当時は3時間半もかけて通勤、通学する人がいたのだろうか? その代わり終列車は早い。現在に比べると、当時の人々は早寝早起きだったかもしれない。

 日高本線のダイヤの変遷を見ると、準急から急行へ昇格、急行の廃止という経緯はあるけれど、列車の運行本数は減っていないようだ。乗客の総数は減ったとしても、その時間に列車を必要としている人がいる。どうか同じ運行本数で復旧してほしいと願う。

 ※写真は本文とは関係ありません。

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