政治そのほか速
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【カイロ秋山信一】2011年に中東の民主化要求運動「アラブの春」に触発され、シリアでアサド政権に対する大規模な抗議デモが始まってから15日で4年を迎える。アサド政権と反体制派の2極対立の構図は崩れ、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)や国際テロ組織アルカイダ系の「ヌスラ戦線」、クルド人勢力や周辺国の思惑が絡んで戦況は泥沼化。国民の半数が自宅を追われ、故郷に戻れる見通しさえ立たない状況だ。
◇内戦泥沼、国民の半数が難民
「家族は仕事を失い、学問をあきらめ、恐怖の中で暮らしている。独裁者も、テロ組織も、私の答えではない」。ISの実効支配下にある北部ラッカ出身の男性(26)は12日、避難先のトルコで毎日新聞の電話取材に答えた。4年前、反政権デモに参加して以来、反体制派として活動してきた。今はISに対する抵抗運動を続けている。「自由や人間の尊厳をかけた戦いだ。あきらめるわけにはいかない」と語った。
アサド政権は11年の改革要求デモを武力で弾圧した。「最初から平和的なデモなど存在しなかった。デモ隊は警察官を殺害したのだ」。アサド大統領は今月上旬のポルトガルメディアとのインタビューで弾圧を正当化した。反体制派は軍の離反兵士などを中心に武装闘争を始め、12年夏に内戦が本格化した。
反体制派は当初、首都ダマスカス郊外などで優勢に立ち、政権崩壊も一時、現実味を帯びた。だが、反体制派内で、世俗派とイスラム勢力などの権力争いが徐々に表面化。特にイスラム教に基づく国家造りを目指すイスラム勢力を巡っては、支援国の足並みも乱れた。イスラム勢力を支援するカタールのタミム首長は昨年9月の米CNNとのインタビューで「米国などはイスラム主義勢力を全て過激派とみなすが、我々には受け入れられない」と米欧との違いを強調した。
権力争いで低迷する反体制派に代わって13年から勢力を急拡大したのがイラクのアルカイダ系組織を母体とするISだった。北・東部で反体制派やヌスラ戦線との抗争を制し、14年6月にはイラク北部にも侵攻。巧みな広報戦略と、原油密売などによる資金力を生かし、中東全域に脅威を与える存在になった。
一方、アサド政権も、友好関係にあるロシアやイラン、レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラの支援を受け、主要都市が集まる西部で勢力圏を回復している。
「前にアサド政権、後ろにIS。…