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80年代の立川談志が聴けるたまらない音源

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80年代の立川談志が聴けるたまらない音源

 80年代の立川談志が聴けるたまらない音源

 1983年5月、立川談志は落語協会を脱退し、家元となって立川流を創設することを決意した。
 直接の原因は、落語協会の真打昇進試験に望んだ弟子2人(立川小談志こと後の喜久亭寿楽、立川談四楼)が落とされ、明らかに実力が下回ると判断した者が合格したことである。試験の基準に対して異を唱え、自らの主張が通らないと見ると即座に協会を見限る判断をした。当時の協会会長は五代目柳家小さん(先代。故人)、談志の師匠でもある。師弟はいったいどうなってしまうのか。落語立川流なる独立団体の帰趨以上に、2人の関係を案じていた落語ファンは多かった。
 
 1983年6月29日、談志は東横落語会に出演している。6月30日で協会を脱退するという前日の高座だ。この日掛けたネタは珍しい「かぼちゃ屋」。だが、噺以上に注目を集めたのはそのあとに予定されていた特別鼎談だった。師匠・小さんの芸歴50周年を祝うために、小さんと談志、そして弟弟子の柳家小三治が出演することが決まっていたのである。
 先ごろ発売されたCDブック『東横落語会 立川談志』には、この鼎談の模様がノーカットで入っている。立川談志のファンならずとも落語好きなら一度は聴きたかった音源のはずで、たまらないプレゼントとなった。
 
 鼎談はこんな風に始まる。
 高座を終えたばかりの談志に、小三治が「あ、どうも。ごくろうさまです」と声を掛ける。
 と談志は、
 「あとを頼むな」
 と一言。音のみで表情はわからないが、おそらくはあの照れ笑いを浮かべているのだろう。
 それに対し小三治は、
 「わかんねえんだ、ほんとに」
 とまずはぼやいてみせる。
 「まだ辞めると思ってませんよ、あたしは。本当にね、下駄履かないとわからないんだ」
 弟弟子の本音だろう。
 こうして鼎談が始まるのだ。まずは小さんがお客への謝辞を述べるが、すぐにその話題に移る。
 小さん「今日はお客さんも期待してきただろうから」
 談志「さっきね、木刀でぶん殴るというからね」
 小さん「なんか高座でもってね、格闘でも始まるかと。そういう風に期待しておいでになったと思いますが」
 談志「本当にやったら負けねえって言ってましたからね。腕づくじゃかなわない」
 ご存じの方も多いと思うが、小さんは剣道の有段者で、自宅に落語ではなくて剣の修行のために道場を作ってしまったほどの入れ込みようだったのである。ちなみに現・落語協会会長の柳亭市馬も小さん門下であり、同じ武道の嗜みがあったため「剣道枠で弟子に取られた」と自称していた。…

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