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「当時は自宅に一人で、帰宅した家族が発見して110番通報したそうです」(関係者)
「想い出の渚」で知られるグループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーで音楽プロデューサーの加瀬邦彦さんが21日、都内の自宅で亡くなっていたことがわかった。享年74。港区内の自宅前や経営する銀座のライブハウスには報道陣が集まったが取材対応はなく、22日の昼に所属事務所が自殺だったことを発表した。
加瀬さんは慶応高校在学中に加山雄三にギターを習い、慶大時代にバンド活動をスタート。「ザ・スパイダース」「寺内タケシとブルージーンズ」を経て66年に4人組の「ザ・ワイルドワンズ」を結成。バンドの名付け親は加山で、デビュー曲「想い出の渚」は加瀬さんの12弦ギターによる豊かな音色で50万枚の大ヒットを記録、GSブームを牽引した。♪君を見つけた この渚に……小麦色した可愛いほほ……もう帰らない あの夏の日~は、オヤジ世代にとっては忘れられない青春の名曲である。
71年にグループを解散後も活動は順調で、同じ事務所だった沢田研二のプロデューサーとして、「危険なふたり」「TOKIO」の作曲も手がけた。その後、81年にワイルドワンズを再結成。ライブハウスを中心に精力的に活動し、2011年には全国ツアーも行ったほど。それだけに、加瀬さんを知る関係者は自殺と聞いて耳を疑っているという。
しかし、「明るく気丈にステージに立っていましたが、後半生は病気との闘いでした。94年には食道がんを患い、9時間の大手術。この時は術後2カ月で奇跡的に復帰しましたが、昨年、今度は咽頭がんを患い、大きく体調を崩した。最後は酸素吸入器が手放せない状況で、自宅療養していました」(音楽関係者)。
ワイルドワンズはメンバー4人全員ががんに罹患。加瀬さんは食道がん、鳥塚しげき(68)は胃がん、植田芳暁(67)は大腸がん、島英二(67)は胃がんだったが、全員克服。
冗談交じりに「ワイルドガンズ」と名乗ることもあった。生涯で作曲した曲は700曲以上。体調が優れず、精神的に不安定になっていたというが、何が加瀬さんに自死を選ばせたのか――。