政治そのほか速
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男子たるもの、一度は何かのコレクションに没頭してしまったことがあるのではないだろうか。
俺の少年時代といえば、見事なまでのコレクション野郎。色んなものを集めては飽き、次のコレクションに向けて謎のバイタリティでまい進するサイコ・コレクター野郎だったのである。
集めたものは色々あったけれども、どれも集めることだけを目的にしたようなイカれたものばかり。
自分でも首をかしげるモノしか思い出せないが、例えば小学生のときは世の中にある色んな説明書をとにかく集め続け「俺はこの世界の全てをしるんだ・・・!」と意気込んでいたし、中学生のときには学校の「学年の生徒の数だけ置いてあった彫刻刀のケースの中に入っている能書きの書かれた小さな紙」っていうとても説明しづらいヤツをすべて抜き取り、「この学年の彫刻刀の能書きの書かれた小さな紙はすべて俺がもっている・・・」と悦に浸っていたものだ。
ペットボトルのフタを狂ったようにコレクションしていたころ、ある日かわいいフタちゃんたちを入れていたプラスチックケースの中で白い小さな虫が謎の大量発生し、親に「意味の分からないことをするな」と至極ごもっともなご指摘を受けたりもしましたが、コレクションとはこのように凡人には理解が得られがたく、だから険しくも尊い、ある種信仰にも似た孤独な作業なのだと俺は思うのである。
今日はそんな俺のコレクションに関する記事。ちょっとお付き合いいただけると幸いです。
■20年前集め続けた自動販売機のシール
俺のコレクションの中に、自動販売機に張られているシールを集めというものがあった。
どういうものかピンと来ない人もいるかもしれない。
自動販売機をよく見てみよう。今でもあると思うが、新発売やキャンペーンを謳う販促用のシールが貼られていないだろうか。
当時俺はアレを勝手に剥がしては持ち帰り、シコシコとコレクションしていたのである。
今から20年前の1995年。阪神大震災と地下鉄サリン事件が起こった年であり、Windows 95はこの年にやってきて、町にはコギャルが溢れ、アメリカでは野茂がトルネード投法で日米を沸かせていた。
俺は13歳、あの頃田舎の中学1年生で、何かを成し遂げないといけない衝動に駆られていて、人より数を集めろ!の精神でとにかくモノを集めていた。…