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詰将棋選手権、最年少V 5人目の「中学生棋士」目指す

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詰将棋選手権、最年少V 5人目の「中学生棋士」目指す

 詰将棋選手権、最年少V 5人目の「中学生棋士」目指す

 

 

  3月末、詰め将棋解答の速さと正確さを競う年に1度の「詰将棋解答選手権」で“事件”が起こった。今年の名人戦挑戦者や七大タイトル経験者など数多くのプロ棋士を抑え、小学6年生、12歳の藤井聡太・奨励会二段が、ただ一人全問正解で優勝したのだ。12歳での優勝はもちろん最年少記録だ。

 

 

 愛知県瀬戸市の祖父母宅で

  この4月に中学に進んだばかりの藤井二段は、詰将棋解答選手権に8歳で初めて出場し、今回が5回目の参加。優勝については「せっかく出るなら狙いたいなと思ってました」とさらっと話す。初優勝に自身の成長を実感したのでは、と聞くと、「(実感は)ありません。今年はそこまで難しくなかった」。自分が成長したというより、問題が簡単になったと感じているという。

  プロ養成機関の奨励会では早くも二段。加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明と、史上4人しかいない「中学生棋士(四段)」への期待もかかる。「できるだけ早く(四段に)上がりたい。上がらないといけないと思っている」。小学校の卒業文集に「中学生のうちにプロになりたい」と書いたことを、母の裕子さんが教えてくれた。

  愛知県瀬戸市で生まれ育った藤井二段が、将棋を覚えたのは5歳の時。駒に動かし方が書いてある将棋セットを祖母が持ってきて、初心者同士で指したのが最初だ。「祖母はたまに『銀』を(動けない)横に動かすんです」と藤井二段は笑う。続いて祖母よりは指せる祖父に相手をしてもらい、覚えて3~4カ月後に地元の将棋教室に通い始めた。父はサラリーマンで、兄が1人。両親も将棋は初心者だ。

  教室では詰め将棋を解いたり、駒落ちの定跡を覚えたりの際に文字を書くことも多かった。裕子さんによれば、「字を教えていなかったので、私が代わりに書いていました」。ひらがなよりも将棋を覚えたのが先というから面白い。その後、幼稚園の誕生日カードに「名人になりたい」と書いたこともあった。

  小1の3月、「アマ初段」で東海研修会に入会。「自称アマ四段」だった小3の時、小学生名人戦の愛知県予選決勝で敗れ号泣。研修会幹事としてお世話になった杉本昌隆七段に師匠になってもらい、小4の9月に関西奨励会へ入会した。

  奨励会入会とは、プロ棋士を目指すことであり、幼くして将来の職業を選択することでもある。裕子さんは「あまりにずっと将棋ばかりやってたので違和感がなかった。今になって、大変なことなんだな」と感じている。

  奨励会例会では毎回、両親のどちらかが付き添って大阪の関西将棋会館に通ってきた。裕子さんいわく「生活能力が低い」そうで、財布を新幹線の座席に忘れて降りてしまい、発車時刻を過ぎた新幹線に1分ほど待ってもらったことも。今月はじめ、小学校卒業を機に一人で大阪に泊まりで行かせてみたところ「服と傘を全部(将棋会館に)忘れて帰ってきました」(裕子さん)。

  学校の授業で好きな科目は「算数と体育」。体育の中でも球技は苦手で、短距離走など陸上競技系が得意という。成績の方は、「普通によろしい、くらいで、すごくいいわけでは。記憶力はいいと思います」(裕子さん)。

  裕子さんは、同じ愛知県出身の豊島将之七段のファンだという。藤井二段は先日、研究会でその豊島七段に教えてもらう機会があった。「負けました。(その時の豊島七段は)本気じゃなかったと思います」。自身の将棋については「弱すぎる。序盤中盤終盤スキだらけ」と、豊島七段をたたえる「序盤中盤終盤スキがない」を裏返して評する。厳しい自己評価は、高い理想の裏返しだろう。

 

 棋譜並べは、自宅隣の祖父母の家で行う

  詰め将棋には幼稚園の頃からのめり込んだ。東京や大阪と比べ相手が少なく、実戦の機会が限られていた。小学校低学年にして詰め将棋創作の楽しさも知り、作家としても高い評価を得たが、1年ほど前から創作の方は「師匠の助言もあって」中断している。解答はともかく、創作の方は指し将棋の上達と直結するわけではないといわれており、今は奨励会に注力する方針だ。

  詰め将棋作家としても名高い谷川浩司九段(日本将棋連盟会長)は、師匠の杉本七段に「藤井二段には、詰め将棋は創作よりも解く方をやらせた方がいい」旨、アドバイスしている。史上最年少名人の記録を持つ、時の将棋連盟会長が気に掛けるほどの逸材であることは間違いない。

  1月に亡くなった河口俊彦七段(追贈八段)の「新・対局日誌」にこんなくだりがある。

  ――1995年。10歳にして奨励会2級の渡辺明少年の話を聞いた中原誠名誉王座が「ほう」と目を輝かせ「その子に羽生君はやられるんだ」。

  それから20年、渡辺少年は超一流の棋士になった。新しいスターが表舞台に立つ日を、楽しみに待ちたい。

 (文化部 柏崎海一郎)

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