政治そのほか速
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22日未明から明け方にかけて、埼玉県北本市内で、ラーメン店など飲食店4軒で現金などが盗まれる事件が相次ぎました。警察は同一犯の可能性もあるとみて関連を調べています。
22日午前3時前、埼玉県北本市のラーメン店で、閉店時間中に裏口のドアが壊されているのが見つかりました。この店に他に被害はありませんでしたが、その後、2時間の間に、近くの飲食店でも同じように閉店中にドアや窓が壊され、レジや現金が盗まれる被害が3件相次ぎました。被害額はあわせておよそ5000円でした。
被害にあった4軒の飲食店はJR高崎線の北本駅近くにあるラーメン店やうどん店で、いずれも国道17号線沿いのおよそ2キロの範囲にあります。
警察は同一犯の可能性もあるとみて、付近の防犯カメラを調べるなどして捜査を進めています。(22日13:37)
「弱虫ペダル」初のオリジナル長編映画を2015年夏に公開することが発表された。
東京ビッグサイトにて開催している「AnimeJapan 2015」の会場でTVアニメ「弱虫ペダル」のキャスト6人(山下大輝さん、鳥海浩輔さん、福島潤さん、安元洋貴さん、森久保祥太郎さん、伊藤健太郎さん)が出席したステージイベントで明らかになった。
「弱虫ペダル」は、「週刊少年チャンピオン」(秋田書店発行)で連載中のコミックス累計発行部数1300万部を超える渡辺航さんによる自転車ロードレース漫画。2013年10月よりTVアニメ第1期シリーズが、2014年10月より第2期シリーズ「GRANDE ROAD(グランロード)」が放送されている。
インタビューに答える自民党の船田元・憲法改正推進本部長=12日午後、東京・永田町の衆院第2議員会館
自民党の船田元・憲法改正推進本部長は時事通信のインタビューに応じ、来年夏の参院選後の憲法改正発議を目指す一方、戦争放棄をうたった9条改正は後回しにし、実現可能な改憲案を順次提示する考えを示した。9条改正は「2回目以降で、3、4回目の可能性もある」とし、改憲4段階論にも言及した。発言要旨は次の通り。
-憲法改正のスケジュールは。
われわれの希望としては今通常国会中に1回目の憲法改正のテーマを深堀りして、どこをどう改正するか与野党で議論する。秋の臨時国会でテーマを三つか四つに絞り込みたい。来年の通常国会で憲法改正原案を提示し、来年夏の参院選後、秋の臨時国会で衆参両院それぞれ3分の2以上の賛成を得て、憲法改正を発議したい。
-安倍晋三首相に説明した際、首相からは。
首相は発議と国民投票について「常識的には参院選の後だね」と。(2月4日に)首相に会ったのは、憲法改正推進団体や自民党内に「9条改正を早くやれ」という声が多く、それは無理で参院選には間に合わないと確認したかったからだ。
-改憲の優先項目は。
環境権創設、武力攻撃や災害時の緊急事態、財政健全化の条項の3点。最高裁判所裁判官の報酬を減額できないとしている79条や、私学助成で問題となっている89条も検討対象だ。
-最初に9条改正ではなく、各党合意が得やすい項目から取り組む理由は。
まず9条は無理だろう。われわれはその前に「慣れる」ということが必要だと思っている。憲法改正発議も国民投票も初めてとなる。最初から世論を二分する難しい問題から取り組むのはリスキーな部分がある。仮に否決されると、本来改正できる項目もしばらくはできなくなる。憲法改正に賛同できる政党を増やすため、一定の時間も必要だと思う。
-だから憲法改正は2段階で進めるのか。
実際は4段階ぐらいある。4回ぐらい発議して順番にやっていかないと憲法改正は完成しない。憲法改正はいっぺんに全部できるものではない。1回の国民投票で賛否を問うのは3、4問。例えば投票所に行くと投票ブースが3カ所あり、1問ずつ投票用紙を渡されて賛成か反対かをマルで囲む。憲法改正項目の一覧表に賛否を書くわけではない。自民党の憲法改正草案は改正部分が100項目ぐらいあるが、全部は無理だ。幾つか選んで重要なものをまとめなければならないが、それでも(改正項目は)15~20にはなるだろう。
-9条改正は2回目か。
まだ分からない。
-3回目、4回目となるかもしれないのか。
その可能性もある。2回目に9条改正もあり得る。2回目以降に9条改正の可能性があるということだ。
選抜高校野球大会で始球式の投手を務めた芝田みらいさん(右)と捕手の山西勇輝君=22日、甲子園
小さなバッテリーが、五輪競技復活をアピールした。22日に甲子園球場で行われた選抜高校野球大会の第1試合前、野球とソフトボールの小学生選手が始球式を務めた。
東京五輪での実施競技入りに向けたPR活動の一環で招かれた。大観衆の前で神戸市の小学2年生、ソフトボールの芝田みらいさん(8)が下手から投じ、野球のリトルリーグに所属する大阪府東大阪市の小学3年生山西勇輝君(9)がしっかりと捕球した。
ストライクを決めて大役を果たした芝田さんは「緊張した。将来は五輪選手になりたい」と笑顔。山西君も「ソフトボールは捕りやすかった。甲子園に出たい」と夢を膨らませていた。
修学旅行生を前に太平洋戦争末期の沖縄戦の体験を話す、ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長=22日、沖縄県糸満市の同館
沖縄県糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、1989年の開館当初から行われてきた元ひめゆり学徒による講話が22日、最終日を迎えた。高齢化により続けていくことが困難と判断、沖縄戦から70年の節目に引退を決めた。この日、最後の講話を終えた島袋淑子館長(87)は「戦争を知らない人たちにどう話したら分かってくれるかと、焦ったり悩んだりしている。どれだけ伝わったか心配だが、一つのけじめをつけたい」と話した。4月以降は、戦争体験のない若い世代が学徒らの記憶を伝える役割を引き継ぐ。
「包帯を外すとうじがポロポロ、うみもいっぱい。あまりの悪臭に失神しそうになりました」。今年2月、学徒隊で最高学年だった大見祥子さん(89)が壕(ごう)での看護体験を語ると、修学旅行生ら約200人が入ったホールはしんと静まり返った。
沖縄本島南部の地図を使い、爆音や兵士のうめき声を再現しながら語る声が静かに響く。撤退命令が出された朝、大見さんは重傷を負った友人を残し、壕を出た。「『誰か助けてちょうだい』と小さな声が聞こえて…」と声を詰まらせた。「戦争って本当に大変なんです」。絞り出すように、何度も繰り返した。
動員された学徒隊240人のうち、生存者は104人。開館当初27人いた証言員も、今は9人となった。講話は多いときで年間1000回以上に上ったが、2013年度は350回にまで減った。
後継者育成のため、08年には講話を引き継ぐ説明員らと戦跡を巡った。説明員の1人で同館学芸課の尾鍋拓美さん(33)は「体験者に代われるか不安はあるが、伝えたいという気持ちは同じ。学徒たちの生きざまも伝えていきたい」と話す。島袋館長は「世の中がどんなに変わっても、毅然(きぜん)として平和の尊さを伝えてほしい」と力を込めた。